きのうのイラストではドリルモンキーのオジさんが毛布をまとっておりませんでしたが、その辺りは気にしないでください。
内実的なことを申しますと「まず全身をキチンと描いてから、毛布をかぶせよう」と、下描きの段階で思っていたのですが、思ったよりも描く要素が多くてチカラつきたと。毛布のコトなんて忘れてしまいまして。それできのうのような感じになりました。毛布をかぶせてあるのが、今回の一連のイラストとしては正しいです。
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朝に目覚めて、しばらくしたらまた眠くなっちゃいまして。午前中は寝ておりました。雨が降っているせいか気温が低くて寝やすいんですね。疲れているのかなって思うんですが。
そんなワケでラジオ番組「現代の音楽」は録音だけは、してあるものの、まだ未確認です。
本日の放送は、細川俊夫さんの2019年作。尾高賞受賞の「渦」でした。この機会に細川さんのことについての紹介を読んだんですが、広島は安芸区のご出身であるとか。それで「ヒロシマ」についての管弦楽作品も残していらっしゃるという案内でした。今日は8月15日ですし、まずはそちらも聞いておこうと思い、今、ネットの動画サイトで聞いているところです。静かな不穏な、いくつかの層がおり重なっているのかな、という局面です。
それと昨晩のことになりますが、同じくNHK・FM「クラシックの迷宮」。聞きました。
先月の放送の話になりますけど、ストラヴィンスキー氏が残したピアノの自動演奏装置のための曲はスゴかったですね。あれらの感銘がまだ残っているんですけどね。
「未聴の音楽」っていう言葉を題にとった湯浅譲二さんと西村朗さんの対談を読んでいて、まだ全然進んでませんけど、「未聴の音楽」っていう点でいうとストラヴィンスキー氏のアレもまさにソレだったんだなって思います。聞いていないことを希求するっていう創作態度は非常に困難を伴うと思うんですけど、何かを作る者としては忘れちゃいけないことだな、とも思う次第。
戻しますけど、きのうの放送。「ラジオ歌謡」の歴史を時間をていねいに使いながらより幅広く細部をも追っていくという趣旨だったと思います。平和国家であったり労働権であったり。今聞くと時代の息吹。昭和の中盤だなっていう思いでした。
つい先日の放送で取り上げた指揮者の山田一雄さんの曲も聞けました。「貧しき贈物」という曲でした。
作曲の時の名義は「和男」だったみたいです。こちらは叙情的な面も深くありつつ当時の通俗的な面もあわせて作られたのかと思いますけど、歌のウラで全面的に鳴らされる女性の高い声っていうアレンジが意欲的でしたね。おどろきました。最初はテルミンかミュージック・ソーかと思いましたが聞いていくと人の声でした。私は山田さんを初めて知ったんですけど、情熱的な方だったと聞きます。その“濃さ”があらわされているかなと感じました。
番組では團伊玖磨さんの曲なども数曲流されました。時代的にはそのすぐ後に湯山昭さんなどの作品もあるよというご案内で番組は終了。
ぜひその続編も聞きたいところです。
湯山昭さんについては私にとっては「あめふりくまの子」なんですけど、ネットの動画サイトで実の娘さんを相手に創作を語るものが何本かあって、その語りクチがけっこう面白くて聞いています。フランス音楽からの影響を語る局面が興味深かったです。確か娘さんの考えと同じく私もドビュッシーみたいなものを感じるんですけど、ご本人的には明確に違うみたいで。おそらくそれは本当のことだと思うんですけど聞く側の受け取りはまた違った面が見えるのかなと思います。音楽って面白いなと思います。