深海の生き物-コガシラボウエンギョ〔06〕

 コガシラボウエンギョさんが他の魚を食べようとしているところを描きました。

 ところで私、当ブログにおいて過去の2日ほど、「食べられてしまったおサカナが、おなかの中で光っているイラスト」を投稿しました。

 しかし実は、ボウエンギョのおなかには“黒い膜”が装備されていて、食べた魚の発光をさえぎる機能があるらしいのですよね。ビックリします。よくできているなと感心。

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 本日のラジオ日記もNHKのラジオ第1。午前の番組「らじるラボ」。いやー。ラジオの話題なんですけど、国内においてはラジオのAM波って絶滅寸前の趨勢らしいですね。私はもう隠しようもなくラジオ派なんで悲しく思っています。しかもNHKの2ヶあるうちの片方が削られそうだという。過去にNHKのサイトでアンケートがあった時に「AM放送2波体制を維持して欲しい」旨の意見を書いて送ったんですが…。でもやっぱりねぇ。テレビに比べるとあまりこぞって聞かれるっていうワケにもいかないんで…。私は自分が視覚に訴える部類の仕事をしていながらなんですけども、映像は割とどうでも良いのですね。当ブログにおいて私の日常はネットの動画サイトで80年代のあえて聞く人も少ない微小な知られざるシンセポップのオール・ザ・ヤング・デューズの作品をむさぼり食っているみたいなお話をタビタビさせていただいてますけど、もちろん今も続けておりますけど、正直に言いまして映像はほとんど見ません。音さえあれば良いっていうかもうそれだけで充分。他に何が必要なんであろうか。“音”は素晴らしい。音に全部が出るんですよ。シンセと録音機の前でワクワクしている「オレたちのこのエレクトロなサウンドがグレートかつヤバい!」っていう心境ですよね。当時のフューチャリスト気取りの若者たち。イイね! っていう気持ち満々の私。とはいえ世の多くの方たちは映像込みの方がお好きなんで、それは仕方がないのかっていう絶望的な気持ちです。

 マそんな気持ちも入り混じりつつ、砂まじりの茅ヶ崎ってコトでね。茅ヶ崎の今に生きる民謡を聴きましたよ。これはメチャクチャ良かったです。ホントに良い録音でした。

 きのうも書きました、俚謡(りよう)山脈のコーナーです。本日のテーマは「ビート」。

 おみこしワッショイのイキオイで、そのまま、おみこしごと海に突入するっていうお祭りなんだそうです。

 地元の若い青少年なんかもその甚句を歌えるらしいぞという実態を知りました。

 もう1曲。埼玉の農作業に伴う民謡も聞きました。小麦の脱穀でしたかね。くるり棒といったと思いますけど、近所の人たちで集まって、ゴザかなんかを敷いてみんなで小麦の房をバンバン叩く。「小麦の棒打ち」というんだそうです。

 これはNHKのラジオ第2の番組「ニッポン時空旅」で聞いた静岡の伊豆は修善寺でしたかね。その近辺で収録されたという水車でそば粉をひくという作業。あれに通じる部分がありましたけど、ビートがスクエアかっていうとそうでもないんですね。変態的なビート。とっかかり&つっかかり。

 DJ俚謡山脈のお二人のコメントによると、フロアで踊っている人も不思議な様相を見せ始める。内にこもるようなしぐさも見られるとかなんとか。大変に興味深いお話でした。

 それとそうした単純作業における労働歌は歌詞にアドリブが相当に入るという、当時のフリースタイルなラップっていう感じの、当意即妙さを競う&楽しむ感覚。これが連綿として続いてきたっていうことなんですね。これがとりもなおさず日本の歴史の一部分。故ECDいうところのワン・ノブ昭和史っていうフレーズがありますけど、ワン・ノブ日本史。ちょっと大きくまとめすぎたかっていう気もしますけど現時点ではコレってことで今日はこの辺で。