もぐらドン〔15〕

 モグラのおかみさんを描きました。

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 ラジオ日記です。

 本来であれば第3日曜日は、町内あげての「側溝そうじの日」なんですが、小雨により中止。「そっかー。休みかー」と気が抜けた感じでボーッとしていたら、NHK・FM「現代の音楽」の冒頭3分ほどを聞き逃しました。

 本日の放送内容は「NHK電子音楽スタジオ」の特集。その第1週。私のような電子音楽ファンにとっては盆と正月が一緒に来たような騒ぎです。

 武満徹さんの「空、馬、そして死」。はじめて聞きました。しかし武満さんっぽい作品だと思いました。そういう頭で聞いたからかもしれません。しかし現れて消えていく音のイメージ。控えめにループ。叫び。金属音など。キレイだったと思います。湿度みたいなものも感じました。1958年の作品。

 諸井誠さん黛敏郎さんの「七のバリエーション」。こちらは音源を持っている関係で、もう何回聞いたことか。好きです。1956年の作品。

 マしかし本日はコレですよ。番組内では最初にかかった柴田南雄さんの「立体放送のためのミュージック・コンクレート」。1955年。

 伝説的な作品ですね。大変な労作でもあります。

 日本の放送技術史的に言ってもですね。そしてまた1955年当時の社会における文化。その中で新しい音楽がどう取り扱われていたかも推察できる。大きな足跡なんだと思います。

 2台のラジオを設置して左右に適当な間隔を保持した上で、NHKラジオ第1とラジオ第2にチューニング。放送電波としては右チャンネルの信号と、左チャンネルの信号を振り分けて送波。結果として立体音像をリスナーに届けるっていう設計。おどろきます。

 音を聞いた感じでは、解説の西村朗さんもおっしゃっていたように、柴田さんのイマジネーションの豊かさを感じさせるに充分でしたが、立体感を強調する蒸気機関車の疾走するようすとか。割とサービス精神豊富というか、今よりも現代音楽というものが大衆の身近に位置していたことも示しているのかなという感想を持ちました。純粋に楽しかったです。美しかったですしね。

 番組の趣旨としては、20世紀の音楽の様相を概観していく一環であるワケです。

 つまり今回の注目点としては「ミュージック・コンクレート」ということでした。具体音楽。大きく言ってテープ・ミュージック。

 私がこのあたりについて知った最初の機会は、80年代中盤「夜想」っていう雑誌の「テクノポップ」号における松平頼暁さんの文章でした。

 はじめて見る類のムズカシい文章で、大変に面食らったんですけど、内容はすごく興味深いし大切なことが書いてあるなってんでもう何回も読みました。まだ私もかなり若かったんで取り組みましたね。

 読み込むうちに、文章は確かに難しいのだが、むしろ正確を期すための表記であるのだなと理解できました。

 はじめて書きますが、私がかなり影響された部分です。書かれていた内容とともにですね。そんなワケで松平さんからは面識ゼロですけどけっこう学んだ部分大というか先生なのです。

 それでね。ミュージック・コンクレートですけど。

 楽音以外をも包括的に取り扱った音楽への態度って申しますか、録音物というテクノロジーが可能にした拡張された音楽概念と私は解釈しています。

 主に私はポップミュージックを聞く人間ですけど、クラシックの作曲家が切り分ける音の采配っていうのはまた独特ですから非常に楽しいです。

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 本日の曲について、蛇足かもしれませんがその他に感じたことも。

 マイクで集音してさらに増幅する。ありえない巨大な水音など。超自然的だと感じました。拡大した音と普通の音の対比も面白く感じました。

 それと人の声のコラージュ。私の受け取りとしては当時のアンファン・テリブルっていうんですかね。若者文化の発見。50年代においてはよく言われると思いますが、そうした要素の回収だったのかなと思って聞きました。

 4月にルチアノ・ベリオさんの作品を聞きました。60年代の公民権運動を背景にした曲だというご案内でした。民衆の歌だな、なんて思いましたけど、あれほどハッキリした意識の勃興というのではなくやはりもう少し素朴。意図や根拠のハッキリしない野放図に繁茂する個々の活動だったのかなと思います。

 音自体の面白さに曲が引っぱられるという現象がこうしたクラシックのフィールドでも見られたというのが面白かったです。女性の悲鳴みたいなのは合わせてみたらハマり過ぎてこりゃ良いなってくり返し使っちゃったんじゃないでしょうか。もうこれはサンプリングの発想ですよね。労力は桁違いだったと思いますが。まぁなんにせよ音が具体的なだけに聞いていて色々と想像できてしまうそんなひと時だったと思います。

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 1955年というのは戦後10年にあたりますが、日本の主権回復からわずか3年。つまりサンフランシスコ平和条約、旧日米安保、李承晩ラインとかね。それら52年に比べると55年の日本の暮らしはずいぶん変わっていたのかなって想像しますけど、その裏では水俣湾における水銀汚染が目に見えて始まっていたということで、大きな課題の発生した前後。良くも悪くもそれが日本の等身大なのかな、当時における。なんて思います。

 お好きじゃない方もいるかもしれませんがこういう話題。私の場合、祖父がチッソに送電していた曽木発電所の職員。父はチッソから分かれた旭化成社員という関係がありますのでこの先のブログの内容にもそれらが反映されていくかも知れません。つまり水俣病の原因企業の家系ってことなんですけど。

 加えて私が住む富士市は製紙産業によるヘドロ公害の地です。水俣病に戻るんですけど興銀から送り込まれたチッソの社長さんね。例の。あの人が富士市で亡くなっているんですね実は。油絵が残されてまして。富士山を描いた。普通にキレイな絵ですけどね。しかしその絵を見ると富士市民であれば「この人、あの病院の高層階で死んだんだな」っていうのがわかります。

 おそらくVIPルーム的な病室があると思うんですよね。見晴らしの良い。富士山と正対する位置関係です。ごくたまにですが身分の高い人が富士市で亡くなったっていうニュースを耳にして「なぜこんなイナカで?」って驚くことがあったんですが、どうやら死ぬ時に富士山を見ていたいっていう人が少し、しかし商売になるくらいは居るみたいですね。想像ですけどね。それ自体については何も言いませんけど。とにかく公害とその悪影響、人と土地に対する。その辺については私の残りの時間をかけて何かしたいなと思っています。私自身は公害の悪影響とは無縁の恵まれた環境で育ちましたが、全身丸ごと公害の恩恵から生まれたと言っても良いワケで。ゴジラとヘドラが戦った港から2キロと離れていない場所で生まれて3歳までいましたし、大きなテーマにならざるをえないんですよね。

 小さなものであっても何か作りたいです。

 最近ネットで「個人が社会のための犠牲になってはならない、社会のために個人が埋没してはならない」という言葉を見たんですが、そうだなって思います。できたらそういう問題をバカバカしく描きたいなって思うんですが。それと可愛らしくですよね。私ならね。

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 ラジオ日記に戻しますが、つづいては同FM放送「名演奏ライブラリー」。

 カルヴェ弦楽四重奏団。ドイツの楽団。

 ラヴェルさんの曲を聞きました。モノラルの古い録音だったようですが、良かったです。雰囲気的にもね。楽しみました。

 その他、ドラノワさんっていう作曲家の曲を聞きました。

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 そのあとはNHKラジオ第1「子ども電話科学相談」。

 動物の小菅先生による「コウモリは哺乳類の中ではすごく繁栄しているものたち」というご案内にビックリ。しかし言われてみれば種類としてスゴく多様。

 最近の私が追っております、地下のムシですね。特に洞窟などに住んでいるもの。彼らはコウモリなんかが排出した糞を食べているものが多いそうです。

 なるほどね。

 洞窟なんて栄養になるものに乏しいように思えますけど、コウモリが外で食べた栄養の残りを手に入れると。だいたいコウモリは糞をする場所も変わらないと思いますから都合が良いんでしょうね。

 そんな感じで納得しました。