カラダをヒネるカンガルーのオジさんを描きました。
今、見返してみると、ちょっと上半身と下半身が別みたいになっちゃったかな、と思いますが、まコレも描いたからこその気づきってワケでございまして、これはこれでイイかなって思うことにしようと思います。
───────────────
ちょっと更新の時間が遅れてしまいました。
すみません。
実は先週からの「地域の行事の運営における見直し作業」ですね。
アレに時間がかかりまして。
今日が一応の期限だったんですが、結局ギリギリまでかかってしまいました。
仕事でも無いのにね。やれやれ。
しかしこの先ずっと私の人生こんな感じのお金に縁が無い感じで終わりそうな気もしています。
ナゼ思ったよりも時間がかかったかについてもちょっと書いておこうと思います。
むやみやたらに行事における細部を削っていけば良いというのでも無くて、テーマみたいなものが与えられているんですよ。
昨今言われるところのアフター・コロナ。そしてウィズ・コロナですね。
確かに今般のCovid-19。これですべての活動が止まってしまったんで、そんな中でもできることが無いのかっていう視点はあり得る。
がしかし、私が今回五つの部会のマニュアルを眺めた感じではそっちにつなげられる要素というのは無くて。
つまり何らかの活動をするためのマニュアルですから人が集まる以外の状況が前提とはなっておりませんでした。
コロナ以降を考えるとなると新しい発想、あるいは地域から求められている活動。潜在的な。何らかの。が必要ってことかなと思います。
それとね。SDGsですよ。この数年、何だか見かけるなっていう素敵な合言葉。チワワ・チワワ・チワワ。これはバウ・ワウ・ワウっていうイギリスのバンドの曲タイトルですけどね。80年代の。
無関係ですよ。
SDGsに戻しますけど、去年の夏頃に、なんと私が住んでいるこの富士市もその指定を受けていたんですね。
それでおっとりガタナであわてて速習しまして。
“速習”って英語に訳すとクラッシュ・コースって云うみたいですね。
U.K.サブズのアルバムタイトルか何かになってましたっけ。
それとね。
クラッシュ・コース・イン・サイエンスっていうミニマル・シンセ・ポップのバンドがけっこう良いんでオススメなんですけどね。
そのスジの方で未聴な方はゼヒって思う次第です。
私が好きなのは検索ワード的に言うと「Crash Course In Science It Cost’s To Be Austere」です。
ガチャガチャした音楽ね。狂騒的って言っても良いのか。
「No More Hollow Doors」っていう曲もカッチョ良いです。
再度戻しますよ。SDGsに。全然進みませんね。
持続可能な何ちゃらって云うやつですよ。
このワードを免罪符になにがしかのコトガラを無理矢理に納得させられてるんじゃないかってキライも無きにしもあらずではありますけど、そうは言っても現実見るにどうしようもないくらいセッパつまった指標も眼前に続々と迫ってきておるワケです。
再度やれやれですよ。コマったもんだ。
世の中こんなに色々と便利になってるのに何でこんなに相変わらず生きづらいんでしょうね。不思議ですけどね。
それと先週に当ブログで騒いでいた通り、撮影してきた市内の各地の活動報告ですね。パネルの掲示物ですが。
それらを全部一応、アタマに納めた上で色々と私なりに考えて提案としてまとめました。
さきほど、陽も暮れてから、地域の公民館的な施設の窓口に出してまいりました。
私の意見としては、新しく加わってくれそうな、数年ほどでも手伝ってくれる仲間ですね。必要なんですよ。
1回、何らかの行事の運営を体験しているヒトだと話も早い。
しかし現状。毎年、多くの人たちが地域の活動に町内会から加わってくれるんですが、まぁだいたい1年やって疲弊して任期を終えていくっていうね。
中には本気で立腹して終える人もいるみたいな。
そんな人の中から「来年以降は町内会から離れた形で任意の善意の要員になってくれないか」って、ならないですよ。そんな人メッタにいない。
相当な変わり者ですよね。一文にもならないしね。
地域愛。だいたいそれだけなんですよ。
「これくらいなら来年以降も手伝ってイイかな?」。その程度の仕事量にするべきじゃないかなっていうのが私の視点。
無いソデは振れない。ソレで良いじゃないですか。
個人のがんばりに期待するには人的資源的に枯渇しているよねと。
そんなワケで、上層部の人たちの思惑とはまた違うかもしれませんけど私なりの意見をまとめて提出してきた、というワケです。
特にオチは無く。今日はオシマイなのです。
もう明日は26日か。早いですね。