当ブログの最近の状況としては「浮世絵に描かれた世界」。その周辺をめぐる、そんな内容が続きました。
せっかくですので、なかなか取り上げる機会も無いような小ネタをやっておこうかと思います。
私が若いコロに会社の業務として描いた「観光スタンプ」。
そのへんのお話です。
上の画像は以前に掲載したのと同じものですが、この絵柄を見て思いませんでしたでしょうか。
「よく観光地に置いてあるスタンプの絵柄の傾向とは違う」
そうなんですよ。
これは実は「多色刷りスタンプ」というものです。
有料なんですよ。タダで置いてあるものじゃない。
お金をチャリンって入れると、1回、レバーを引けるというものです。
機械の中にスタンプが入っていて、ガッチョンって動くんですね。
仕上がりのようすとしては下のような感じでした。
私が今回画像ソフトで色付けしたもので、当時のスタンプとは違います。
つづいて絵柄の傾向の話です。
タダで押せるスタンプとの違いをアピールしたいのか、「よくある観光スタンプと違う絵柄もむしろ歓迎」みたいな風に聞いていました。
依頼主の意向として。
もう30年以上前のお話ですので違う記憶にすり替わっている可能性はありますけど。
それでね、依頼主に話が及びますけど、確か別にスタンプ専業の会社ではないんですよ。
うろ覚えですけど、社名としては「ナントカ鉄工所」。そんな感じだったように思います。
つまりスタンプを内蔵して押印する機械の方を作る会社だったんですね。意外。
しかし世の中、得てしてそんなものなのか。
でね。この会社にひとりのオジさんがいたようなんですよ。
このオジさんが日本全国っていうか、ホントは関東から東海までの範囲なんだと思いますが、観光地をくまなく回って営業活動をするんですね。
契約が取れたらその場でどんな絵柄にするか決めるワケです。お店の人と話し合って。
盛り込みたい要素であるとかを、そうしたお店によく置いてある絵ハガキ、パンフレットの類を参照しつつ、簡単な原稿を作るのですね。私の想像ですけど。
このオジさんは簡単ながらも絵心のある人で、略図を含んだ原稿でした。
そうした原稿と資料の絵ハガキなどが私の勤めていた会社に持ち込まれて、私なんかが担当して、なんとか仕上げると、そんな流れでした。
私だけではなく、他の人が担当することもありました。
けっこう難しい仕事でした。
図柄を見ると1ヶ1ヶの要素ごとに少し間隔が空いているのがわかると思います。
スタンプは前述の通り、カラーっていうか多色仕様だったんですけど技術的な都合からちょっと離さないといけないんですよ。
そうしないと色が移っちゃうというか、混ってしまうんですね。
これが機械を作っている技術の人が言ってくる数値と、営業しながらおそらく各地に既設の機械の保守点検もしているオジさんの言う数値が違うんですよ。
カンの良い方だと容易に察しがつくと思いますけど、やっぱり営業のおじさんがいう数値は安全をとって多めになる。
スタンプの置かれる環境も様々であろうコトは想像に難くない。
実際、当ブログにおいて先にお伝えさせていただきました通り、私が「白糸の滝」の図案を描いたスタンプ機。
滝に一番近いお店に置いてありました。
具体的に言いますと、お店の外側。滝のすぐソバ。
ほとんど水シブキがかかるような過酷な場所だったと思います。
営業のオジさんは現場をまわっているワケですから、お店の人に会う。
このスタンプ、色が混じって汚くなってるよ。そう言われるとコマりますよね。
そうした事情は理解できます。そりゃそうだろうと。
しかし安全なマージンを絵柄上にとっていくと、スタンプの版面に絵を描ける領域っていうのも減ってくるんですよ。
じゃ思い切って2色とか3色に、色使いを狭めて表現するのはどうかっていうと、「色は多めに使ってほしい」と言われるんですね。
納入する際において技術力の誇示というか、手を抜いてませんよというアピールになるのかなって思いますけど、そっちも仕方ないですよね。
お金が絡む以上はね。
ですけどマージンを保ちつつ色もたくさん使えるように要素を6個とか、それ以上に設定すると、どうしても散漫な画面構成になってしまう。
つながりが薄れちゃうんですよ。
ホントに悩みました。
職歴2年とか3年の若い人(当時の私)には荷が重かったかもねって思います。今思えばの話ですが。
仮に今の私が担当するとなれば、いろんな経験をいかした上であたるコトもできるのなって思いますけど、まぁ済んだお話。それも数十年も前にっていうね。そういうワケなのです。
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それで浮世絵の話はドコに行ったのかっていう部分に移ろうかと思うんですが、浮世絵の当時の事情に通じた方ですと、日本各地の名所の絵。あれは浮世絵師が現地で見て描いたモノばかりでもないのだと。
そう心得てる方も多いんではないかと思います。
中にはちゃんと見て描いてる場合もありますけど、有名絵師のそれ専用シリーズっていうかね。投資に見合う利益が期待される「特別企画」っていう場合。
やっぱり絵師を拘束して旅をさせるワケですからね。
お金的にはやっぱり分業した方が安く上がるワケですよ。取材と生産っていう風に。
浮世絵における風景画には今に残る名作も数多いですけど、歴史に埋もれたそれ以外の普通な絵。そっちの方が膨大であったろうと思います。でもそういう作品にもたくさんの人がたぶん関わっていたんだろうなっていうね。想像するにですよ。
江戸時代によく売れた本のジャンルに「紀行文」であるとか「観光ガイド」みたいなものがあるって話を聞きますけど、やっぱり当時の人も名所のことを知りたいという気持ちは強かったのだろうと。
旅行ライターみたいな人もいたっていいますからね。
私の想像ですけど、やっぱり懇意にしている土地の有力な人なんかがいて、「ヨソの人にも来てもらえるようにキレイな絵を描いてほしい」っていう要望。これはあったと思います。
ひょっとしたら旅行もし、浮世絵業界とも太いパイプを持つ専業の人もいたかもしれない。
そういう人が浮世絵師に依頼をする際に絶対に押さえてほしい要素とか、描かれ方の指定。そんなモロモロがあったと思うんですけど、しかしそれを1枚の絵に収めると不自然になってしまう場合も多かったのではと思います。
その際の悩みね。ここに共感してしまうんですね。私なんて大した量の仕事もしてないですけど同種の依頼を引き受けた側として。
実際出来た浮世絵なんかは非常にまとまりよく仕上がって名画とされるモノでも後年の検証により「実際の配置、見え方と違う」なんて言われたりしてね。
求められる機能が「実際を伝える」のか、「その土地の素晴らしさを伝える」ためにあるのか、その主眼の置き方の違いによって出来上がりも違うんだなぁ、なんて。
知ったようなコトを申し上げるようですけど、身につまされる部分もありつつ、「見たまんまを描いて全部が伝わればそれが一番イイけどね」なんて思う次第であります。