東京での生活を終えて地元の静岡・富士市に戻ってきた私なんですが、新しい習慣として自転車に乗りはじめまして。
ちょっと慣れると少し遠く。となりの市の富士宮市。その奥の方。
朝霧高原(あさぎりこうげん)に行ったりしていました。片道30キロほど。ほぼ全部上り坂なんですけど。
苦しく大変な道のりですが「やっぱり高いところは湿気が少ないね」なんていう発見もあります。特に自転車ですと。
とにかく人がいない。
人影が無い。
あと植物がスゴくてボーボーです。ボーボー。
廃屋が緑に飲み込まれていたり。
ていうか葉っぱがコンモリしたところからチラッと建築物の部位が見えたりしてようやく「ここって昔はホテルだったのか!」なんて驚いたりする。
それまでかなり都心に住んでましたから正反対です。
しかし都心って大きな公園はソコカシコにございますので緑自体はけっこうあるんですよ。
夏ともなるとセミの鳴き声がスサまじかったりします。
じゃ、何が無いのかっていうと雑木林や、人の手の入っていない草むらとか。
特に私は「たまには雑木林が見たいな。アレってヒトのココロに必要だったんだな。ムダのカタマリにしか見えないけどね」なんて思っていました。
しかし地方の奥の方ともなると雑木林の本場。
雑木林っていうか雑木森。
暴力的なまでに緑&グリーン。
ヒトいない。
人家もそれなりにあるんですが動いている人が極端に少ない。
その辺の人たちは車で移動しますからね。
意地でも歩きません。
夜中の2時、3時でもヒトが歩いてる都心とはワケが違うんですよ。
廃屋とか廃車。主に植物が繁栄しています。
薄暗くなってる木々のその奥の方をながめたりしていると「なんかオバケが出そうだねぇ」。昼間なんですけどそんな風に、つい思えてきたりします。
しかし果たしてそうなんでしょうか。
この世に未練などの強い思いがある方たちの思念がすなわちオバケ。みたいに私は思ってるんですが、未練がある以上、自分が元いた場所、住んでたトコロなんかに居着いてるんでは無いかと。
「せっかく死んだんだからダレもいないヒロビロした土地で暮らしたい!」っていうような、すがすがしくもアクティブな精神の持ち主はオバケにはならず成仏するように思うんですよね。
であればダレもいないような土地よりもむしろ都会の方。いかにも人間臭い場所。そこにオバケは多いのではないか。
押すな、押すなっていうイキオイで密集しているケースも考えられます。
にぎやかな場所にこそヤツらはいる! ってなもんです。
私のブログは妄想や想像が多いですけど、今回は丸ごとそんなですよ。
都会のオバケ社会のようすを描きました。本日のイラストは。
わざわざ地方から出てきたヒトも多い東京ですけど、そこまでする多少パワーのある人なんかですと途中で死なざるをえなかった場合。これはオバケ化してもねぇ。ムベなるかなってヤツですよ。
純音楽家の遠藤賢司さん。その方がニール・ヤングさんというアメリカの音楽家の楽曲「ヘルプレス」を意訳して歌った音源が残されています。
昭和レジデンス赤盤っていうコンピレーション・アルバムに入ってるんですけど。
ちょっと引用します。
ダレでもいいから少しだけ
あのね あのね ボクはね
いろんな読み方ができるし、当てはまるココロの風景もまた広くあると思うんですが、今回、私はオバケ社会にあてはめてみました。
誰かに聞いてほしい。
オバケの言葉。
生きてる人間にはなかなか通じません。
通じたら通じたで、コイツらキリねーなってのもあるかもしれませんけどね。
人数にしたら相当にいると思うんで。
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きのうのエントリで「千駄ヶ谷シリーズ」は終わりでして、だいたい描きたかったイラストは描けたかなという心境なんですが、やっぱりどうしてもと思い、本日のイラストを追加しました。