きのうのエントリで私が大変な昔に住んでいたアパートの外観をお伝えしたワケなんですが、今日はソコの大家さんですね。
以前にもチラッと「大家さんが近所の友達を集めて麻雀をしていた」。「部屋の中は画材や作りかけの作品が積まれていて雑然としていた」。みたいなコトを書いたんですが。
描いているうちに手がスベったというか完全に逸脱したというか。
まるで人間じゃない。チミモーリョーのそのスガタって感じになってしまいました。
絶対に信じないでくださいね。お願いします。
大家さんのお宅っていうのがアパートに隣接して、奥の方にあったんですが、表の大きなビルと挟まれて、ちょっと谷底っぽいイメージだったんですね。
それに加えておばあちゃんたちが集まってジャラジャラやってるっていうのがこのイラストの遠因になってるんですけど。
私もかなりまだ若かったんで。
イラストの上の方の驚いているネコの顔が当時の私の心境を表現したモノになります。
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今日もブログ用イラストの備蓄分を生産したんですが、もう時間も遅くなり眠いんでラジオ日記は簡単にいきます。
「子ども電話科学相談」ですよね。
今日はこどもの精神的な悩みを聞く先生として大日向雅美さんがいらしてくれたんですが、その子どもたちへの寄り添い方のやさしさがスゴかった。
電話越しの相談ですから、ちょっと芯を外す場合もあったのかも知れないソコは子ども相手でもありますから伝え方もつたないんで仕方ないとして、あれだけ真摯に語りかけられたら相談してきた子どもの胸にも相当なものが残るんじゃないかと思いました。
大日向さんは大学で若い女性の教育に携わっている人なんですが、その授業において以前に「女の子はバカでも良い」みたいな歌の歌詞を生徒に知らされて、その内容について語り合ったり、その場の人たちで歌詞を独自に改善したりの活動もあったのだとネットで知りました。
要約すると「女性であっても上を目指せ」みたいなね。今日は眠いんでスジがザツですよ。
ここから大きく飛びまして。私個人の調査のお話になるんですが、時代をグッとさかのぼって自由民権運動ですよね。大逆事件。幸徳秋水さんとかの。
その際に女性として唯一、処刑っていうか国家によるぬれぎぬ殺人だと思いますが菅野スガさんが気になってるんですね。
ナゼか。
私が以前に「ビルの壁に大きなカメの絵が描いてある」という、にわかには信じがたい破天荒な外観の建物に一時住んでいたことがあるとつい最近に記しましたが、そこから菅野さんのお墓があるお寺っていうのが目と鼻の先なんですよ。
ビックリ。
「お寺があるな」とは思ってたんですけどね。
それできのうのコトになるんですが、すでに知っているコトとは別に、違う角度からちょっとネットで読んでみたりしたんですが、姪っ子さんがいたんですよ。
その子あてに処刑前日に全部ひらがなで書いた手紙が残っていて。めちゃくちゃ切ないんですけど。
遺品なんかをその子に送っているワケですね。
その姪っ子さんが調べてみたら角筈(つのはず)の生まれだってコトでまたビックリ。
カメのビルっていうのが新宿区役所の「角筈出張所」の道を挟んだ隣で、まさにあの辺かっていう衝撃なんですけど、実のところ、昔でいう角筈って確か歌舞伎町なんかまで含んだ広い区域ですから、別にそんなにいうほど近所じゃないかも知れない。
しかしその姪っ子さんがこれまたのちに活躍した人で近藤真柄さんという人なのだと知りました。
菅野さんが残した衣服をお母さんが仕立て直してくれたのか小学生の頃から長く着ていたらしいんですよね。私はこういう人スゴく好きなんですけど。
女学校としては富久町に通ったらしいんですけど、コレはもうまさに市ヶ谷の刑場があった場所の目と鼻の先。
もう完全に自覚的だったんじゃないかとさえ思えてくるワケなんですが、学校を出た18歳の時にお母さんと一緒に社会活動に飛び込んでるというその一直線さに心が動きましたよ数メートルほどもズズズとね。
「どうせこの世に生まれたからニャ」。
これは「レインボーマン」っていう子ども向けのヒーロー番組のソングとして川内康範先生が書いた詩の出だしなんですが、コーハン先生の宗教観とかその思いの深くにじみ出たものだと私は捉えています。子ども向けとは思えないくらいの“濃度”なんですよ。「おまえはどう生きるんだ?」「生き方をどうチョイスするんだ?」「生き方としての正しさとは?」っていう問いかけなんじゃないかと。
コーハン先生、熱い人だったんだなって思うんですが、ひるがえって真柄さんですよね。「まがら」って読むらしいんですけどね。「マーガレット」から来ているらしいんですが、スゲーなおい。しかしまさに「私はこう生きたい」っていうのが伝わって来る。
なんか平塚らいてうさんたちとの論争もあったみたいでまだ調べてないですけど、「このあたりで女性運動が生まれたんだな」って私は肯定的に捉えてるんですが。オルタネイティブっていうか熱い息吹ですよね。
その後は四谷の通りの南側に入っていったあたりで文章の仕事をしたらしいです。
私の経験から言うと「たいやき屋さん」の「わかば」っていうお店があって、市ヶ谷のデザイン事務所勤務だった頃はその付近にお使いで行く用事があると帰りに買ってきてとよく頼まれたものです。おいしかったんですよね。
ま、そんなワケでして。以前にも「平民社が私がブラブラよくしてた新宿の南口のあたりにあったと知ってビックリ」みたいなコト書きましたけど、こっちはこっちでイチイチ「うーわ。あの辺だわ」みたな思い当たる場所ばかり。
要するに今後も調査が必要だなっていう。そんな所感なんですよ。