図解! 千駄ヶ谷の角度

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 今日から再び「千駄ヶ谷の思い出」についてのイラストを再開します。

 もう30年以上も前ですけど、当時住んでいたアパートの窓から、共産党のビルの壁面にくっついている看板。ひと文字だけですけど「産」の字が見えたっていう件ですね。

 ビルの谷間からのぞいている感じだったんですが。

 そんな説明を当ブログにおいてお伝えした私ですが、実はちょっと自分でも釈然としてない部分がありました。
 それはナゼか。

 「角度がおかしい気が」していたんですね。
 そのアタリを図にしたのが上の画像です。

 説明するとまず、右上の方の「小さなオレンジ色の四角」が、私がお借りしていた小さくて古いアパート。
 「はと」っていうのは鳩森小学校です。

 まんなかに線路。中央線。

 そして「産」って書いてあるのが共産党の本部ビル。

 「イ」って書いてあるのは「イヤらしいビル」です。今はもう無いビル。
 私個人の感覚として「成金趣味っぽくてイヤらしいな」って感じていたビルですが、あくまで私個人の感想。

 画像の説明に戻しますが、gifアニメにしました。

 つまり私の感覚では「イヤらしいビルが視界に入るのは理解できるが、共産党のビルって、角度が違わなくないか?」と思っていたんです。

 しかし私の間違いでした。
 地図で確認するとアパートの壁面は角度的にいって、むしろ共産党ビルにモロに正対している感じでした。

 ではナゼこんな感覚の違いが生じたか。
 それは明治通りからアパートに至る道がナナメっていたからなのです。
 クランクになるところで感覚にズレが出たんですね。きっと。
 私の気持ちとしてはオモテの明治通りと平行な感じだったのですけど。

 ま、ソレだけの画像です。私的には自信作ですけど。

 しかし今回、改めて地図なんかを見てみたんですけどね。広域の。
 するとこのアタリの道って案外角度がそろっていて、むしろ明治通りがその律に背いているんですね。

 調べてみたら明治通りって関東大震災の後の復興の意味とか、まぁどっちかっていうと家が壊れた人たちなどにお金を払って移転してもらうタイミングとして良かったのかなって気もしますけど。札束でホッペをブッ叩いた的な。
 とにかく新宿とそれ以南を結ぶのにドカーンと広い道を通したっていうかね。

 それじゃ昔はどうだったのかっていうと新宿御苑の壁面の角度に大体あってるんですよね。
 街の区画が。

 それだとか鳩森神社と代々木を結んだ東西のラインっていうか。

 新宿御苑って元は確か昔の大名のお宅か何かですよね。
 ま、そんな感じの街並み、そして道だったんですね。
 コレいうのに千駄ヶ谷の事情に詳しくない方向けには「御苑の敷地がチョー広い」という情報を申し添えておくのが親切かもしれませんね。
 まさに区画を決める際の基準になりそうな存在感っていうか。

 考えてみたら御苑以北の新宿の繁華街なんかも区画としては御苑に沿ってますね。というコトは、私が思う以上に昔っからこのマス目みたいなものって生きていたのかもしれないです。

 話題変わりますけど、「道」って言ったら最近ギリシャのシンセポップのバンドを知りまして。
 「ΟΔΟΣ 55」っていうんですけど、ネットで翻訳したところ、「道55」っていう意味みたいなんですよね。
 ルート66的な感じ?

 曲としては私はかなり好きです。いかにもアマチュアで初期衝動バンバン込めてる感じのシンセポップがお好きな方で未聴の方。おススメしたいです。どっちかっていうとツールがシンセなだけで精神的にはパンクみたいなね。よくあるんですけど。

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 さてさて今回の画像。私としては作り上げて長年のモヤモヤが解消。気分がスゴくサッパリしましたけど、私のブログに少数来てくださる方にはどうでも良い説明だったかもしれませんね。

 なんか行きがかり上、妙に共産党ビルにこだわるような内容にもなりましたし。
 でもソレいったら実はこの辺って共産党にゆかりのある建物ばっかりですからね。全部は記しませんけど。

 それに私はこの後、西新宿に引っ越すワケですが、1年ほど東京都庁のハス向かいっていうか、壁面にナゼか巨大なカメの絵が描かれているっていうコレまた破天荒なビルに住んでいたコトもあります。
 ココは大きな公園を挟んで都庁のお向かいでしたからね。丸見えですよ。都庁が。かなりの立地。しかしその辺の事情はまたいつか機会があればってコトで今日は終わりです。
 ありがとうございました。