「学会」のお話をラジオで聞きました。
研究者の方たちが集まって、発表したりする集まりですね。
NHKラジオ第1「すっぴん!」月曜パーソナリティーのサンキュータツオさんの体験にもとづくお話でした。最近、日本語の文体に関する研究成果を発表する機会があったそうです。
きのうのラジオ番組「子ども科学電話相談」においても恐竜の研究者の学会が行われると、恐竜ファンの子どもたちもけっこう聞きにきているというお話を聞いたところでしたので、連続しています。
お子さんたちの感想としては「話している言葉は日本語だけど、用語が英語だからわからないね…」というものであったそうで、可愛らしくもおかしかったのでした。
それで今日のサンキューさんのお話なんですが、学会の実際について語られました。
発表する人が一方的に話すだけではなく、他の研究者さんとの質疑応答が設けられるのが決まりなんだそうで、そのアタリについて詳しく説明されました。ここが面白かったです。
取りようによってはケンカっぽいのかなっていう論戦というか細部や意図を明らかにする過程であったり、手法の是非を論じたり、つまり“揉まれ”るんですね。非常に意義深いプロセスでもあり相当に疲れそうだなとも思います。
しかしここが重要で。
私は最近、盆踊りが明治期に迎えたという行政当局からの弾圧についての論文をPDF書類として入手できる範囲において流し読んだりしているんですが、そもそもそうした歴史を知ったのはもう10年くらい前。若い研究者である西嶋一泰さんと松原真倫さんが運営してらしたポッドキャストを聞いた際でした。
とくに西嶋さんからは近代から戦後の市民活動としての自己表現、文学であったり人形劇であったり。市井の人々が自らを語る言葉を得るという感動的なパワー・トゥ・ザ・ピーポーなんですけど、それと民俗芸能ですね。土着の盆踊りについては実地の経験を積まれている方でしたので、そうした活動の結果たる論を聞く立場の私としましても深い部分から理解ができたのではないかと感謝しているんですが。
で、その若い二人が話をする際に私から見てすでに研究者としてのマナーが叩き込まれているのが取れましたので、彼らがそこまでに出会った先生たちはやるべきことをなさったのだなと感激しました。
要するにどこから叩かれても一定の信頼にたる論を構築するっていうことですね。大事なことだなって私も思います。そして難しく手間がかかるだろうなっていうことでもあるのかなっていう。
本日の番組の中では日本語教育のお話も出ました。外国からいらした方への教育ですね。ここは今後さらに一層重要になっていくのが目に見えている活動ではないかと思います。そして余談ですけど、私の妹も台湾か中国かで日本語を教えているハズなんですよね。若い人たちに向けて。
それと妹の旦那さんは日本で日本語を学んだのちに大学院に入った方なんで、日本語教育については夫婦合わせて何らかの知見を持っているんじゃないかなとふと思いました。
番組の中盤では「中国のSF小説」について紹介されました。まったく知らなかった世界でしたので、聞いていて驚きました。ですけどとても興味が湧きました。
なんでも「三体」というSF小説がヒューゴー賞を取ったそうです。
ヒューゴー・ガーンズバック氏ですよ。幻の電子楽器「ピアノラ」の開発者としてそのスジでは知られる方なんですが。いやー。聞いてみたいですよね。
写真で見る感じ、調度っぽい造りの鍵盤楽器で天板にラッパがついていてコイルっぽい感じのパーツがラッパを取り巻いてるっていう見るからに意味ありげな感じなんですけど。
作られた時期としてはテルミンとオンド・マルトノの中間くらいですから、きちんと音は出たんじゃなかって思います。しかしおそらく出たとしても素朴なピューとかポー的な音ではないかと。たぶんラッパの周囲の工夫っていうのもオンド・マルトノにおけるスピーカーの工夫みたいな感じに音の出口でちょっと楽器としての固有の表情をつけたいなっていう意欲の表れじゃないかって思うんですが。でないと相当にお金もかかったと思うんで、散々つぎ込んで出た音コレかよ! バカみたいじゃん! みたいな泣き笑い回避って申しますかね。
今日はいつにも増してパラパラとした、とりとめのない内容になってしまいました。めんぼくないです。