ラジオで、辞書の編さんをしている方のお話を聞きました。
いつも聞いているNHKラジオ第1「すっぴん!」です。
やはり日常的に“新しい言葉”というものにアンテナを張っている毎日なのだそうです。
話を受ける立場のおふたり、藤井アナとサンキュータツオさんも言葉に対して知識があるだけでなく、しゃべることを職業とされているので、当意即妙な受け答えというか、番組が進む中で人の社会でどう言葉が使われているのかが明らかになっていく様が面白かったです。時間が足りない様子でした。
具体的な例としては「昭和歌謡」をどのように辞書に書くべきなのかという考察が面白かったです。
「ヒトが容易に口ずさめる」「全年齢帯において浸透している」などなど。
ザ・ピーナッツがクラシック音楽を下敷きにして歌謡曲にした場合はどうなのかなど。
私もついきのう、週末のゴンチチさんの番組の「3月の音楽」という回でかかったペギー・マーチさんの曲をmp3にしてパソコンのミュージックプレイヤーに読み込ませる際にちょっと悩んだので「そうだよな」って思いました。
個人的には時代的に戦後から80年台前半までの歌謡曲なテイストな音楽であれば昭和歌謡っていう風に簡単に捉えていますが、辞書に載せる立場の方は悩むでしょうね。
歌謡曲において、個人的な体験として大きいのは幼稚園に上がったコロに見たピーターさんの「夜と朝の間に」っていう曲。
アレで歌のチカラを知りました。
お茶の間の雰囲気が全く変わるのです。スゴい。
当時のテレビの歌番組は舞台の両脇のゴージャスな幕、どんちょうですね。アレが画面のはじっこに写るというか、どんちょうナメの画面構成っていうのが比較的よく見られたと思うんですが、そんなコトから私にとっての、とりわけ映像的なイメージも含めた場合の言い方としては、「どんちょうに負けない世界観を持った歌」それがイコール「昭和歌謡」なのかなっていう。そんな風に思います。
今日のお天気の気分でいうと、三好英司さんの「雨」とかね。
なんかスゴくドラマを背負っちゃってる感じっていうか。
コレがなんかに似てるなって考えてみると、私が好きなもう片方の音楽ジャンル。
80年代の洋楽、ニュー・ウェーブとかにもそういう構造があると思います。
もうなんていうんでしょう。
頼まれてもいないのに、この世の不条理を全部、背おっちゃっているような深刻な表情。憂いって申しますか。
イイよね! アレ!
ひとりで七転八倒してるみたいなね。
ステージでやるから許されるんであって、オモテでやると恥ずかしい感じ。
たまりません。
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長くなっちゃったんですけどイキオイを借りて簡潔に書いておこうかと思います。
上で述べた通りでして、幼稚園児時代の私にとってピーターさん歌うトコロの「夜と朝の間に」はかなり大きな歌でした。
で、その後に出会ったもう1ヶの名曲が何かって申しますと岸洋子さんの「希望」。
コレがまた異常にドラマチックな曲ですね。
実はこの曲には石ノ森章太郎さんの絵でアニメにしたバージョンがありまして、今ならまだネット上の動画サイトで見られますので、興味のある方には見ていただきたい。
日本の著名ノイズバンド非常階段のjojo広重さんも以前にご自分のブログで記しておりましたが、このアニメもかなり良いです。
もうスゴい昭和。
私もリアルタイムで観ていましたが、結局こういう感じがずっと心に残っています。
マズい、マズい。簡潔にって言ったのに伸びてしまいそうです。文章が。
岸洋子さんの「希望」、それと「夜と朝の間に」のピーターさんのビジュアルとか衣装なんかも含めた感じ。
このふたつをまとめると何かなっていうとデヴィッド・ボウイさんの「ロッケンロール・スイサイド」とかもうズバリですよね。
岸洋子さんとか越路吹雪さんが「時はタバコを手ェにィとり………クチへとはァこぶ」なんて歌い出しても全く違和感がない。
後半に異常に盛り上がるトコとかね。
これに自分で気がついたときにはスゴく納得すると同時にショックでした。
ボウイさんの世界なんて自分が出会った中では全く新しいサムシングだったハズなのに、「こりゃどうもピーター・プラス・岸洋子っていう部分に反応、理解できただけかもしれないぞ」っていう戦慄ですよね。
やれやれ。
ま、決してソレだけじゃないと思いたいんですが、人間ですしね。
子供のコロにまかれたふたつのタネがグラム・ロックを聴いて一気に花開いたみたいな。
しかしソレも悪くはないのかな、なんて思います。このトシにして。