ゴボゴボゴボ

kappa-crawl-gobo-gobo-gobo

 本日はこれから町の公会堂で定例会があります。

 お昼に電気店行ってきて、USBメモリを買ってきました。町内会用です。
 書類のデータを保管するもの。

 帰ってきたら急激に体調がおかしくなりまして3時間ほど寝ました。
 復調しましたが、インフルエンザも流行っておりますので気をつけたいです。

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 今日のラジオ日記としてはNHK・FM「現代の音楽」。
 先週の放送は側溝のそうじの日だったり、公会堂のカギの返却を待つ用事がてら家事をしていたりで、録音はしてあるものの、まだ聴けておりません。

 今日の放送内容としては、金子仁美さんと、斉木由美さんの作品。
 西村朗さんのご紹介によると同年代のお二人だそうです。
 ネットで経歴を少し見たんですが、どちらもフランスのIRCAMにいらした事があるようでした。

 金子さんの作品は「食事」がテーマということでしたか。愛ある時間としてとらえての構想だそうです。

 また作曲の手法、構造そのものを音にしたいという気持ちがあるのだというご紹介を聞いて唸りました。
 あとは具体的に最弱音から最強音までを豊かに使いたい、などなど。

 これは私にも理解できます。
 ちょうど1年くらい前に聞いた「現代の音楽」での金子さんの曲。私にとっては「現代音楽にジェスロ・タルみたいな人がいたよ!」っていう衝撃でしたが。
 曲名としては「歌を歌い・・・2」。この曲もダイナミクスがかなり広かったです。

 実は、文章を書き始めたら、もっぱらこの曲、「歌を歌い・・・2」だけのことになってしまいました。
 本日の放送で聞いた「食事」についての曲で感じたコトガラについてはまた後日です。

 1年前にはじめて聞いたこの「歌を歌い・・・2」について、個人的にかなりこだわってるんですよね。私は。

 動画サイトで何回も聞いたんですが、非常にテンションの高い演奏であり、繰り返し聞いてもやっぱり衝撃は残るなって思いました。

 自分の頭の中で整理してみました。私にとってのこの曲は「書き譜であることの良さ、音楽的な豊かさと、アドリブであるかのように聞ける刹那的な良さが共存している曲」ってことになるのかなって思います。

 この曲の作られ方としては、金子さんがネット動画で語られている説明によりますと、「旧約聖書詩篇81篇をテキストにしてフォルマント解析を施した」。さらに言うと「母音」についておっしゃっていたようですが、曲を私が聞いた感じからいうとむしろ子音というか、非楽音ですね。その存在感。これはリコーダーを吹いてらっしゃる鈴木俊哉さんの力量というか曲解釈による部分が大きいのかもしれません。

 非楽音ということから書き始めようかと思うんですが、楽音から非楽音までのなめらかなつながり。これが素晴らしい。そしてつながりということでいうとポルタメント。なめらかな音程移動。これがハシバシで挟まれるのがまた良い。
 私にとって見逃せない部分でいうと反復性。これも感じられる。私風に言うと“リフな感じ”ですね。これがあるとがぜんとっつきやすくなります。私は。
 詩篇を日本語で朗読した音声を基にしているようですので、一般的な“作曲”とは違うのかもしれませんけど、上で書いた通り、音楽的に響く部分があるのが不思議でもあります。

 あとはけいれん的なリズム、自在に変化していくテンポの緩急。特殊技法によるノイズ。音量の大小っていうことは上で申し上げた通り。
 実は私、この曲を録音して手持ちの波形編集ソフトでコンプレッサーを深くかけて音量差を小さくしてみました。つまりとても小さな音を大きく聞けるようにしてみた感じなんですが、細かな動作音も聞けるようになってさらにうれしい。発見があるって感じです。

 あんまりに小さい音なんかは、音としての認知は難しいのかもしれないって思いますが、その反面、その場にいると伝わるものなのかもって思います。

 (書いていたら時間が無くなってしまいました。これから公会堂に行ってきます。続きはまた後で)

 帰ってきました。今日の定例会はかなり順調に進みまして、早めに終わってありがたかったです。

 で、認知が難しいような弱音についてなんですが、きのうネットで動画を1本見ました。金子さんとは全く違う人たちのおハナシになってしまって恐縮なんですが、日本のノイズ・ミュージックの二人組、インキャパシタンツです。
 40分ほどの内容で、私は初めて美川さんだけでなく小堺さんの肉声を聞きました。
 そこで小堺さんがおっしゃっていたことが非常に興味深かったので引用させていただいてこの長くなってしまった文章を締めくくろうかなって思います。

 ライブを見にきてくれた友人が言ったコトには「美川さんのアンプが不調で音は出てなかったんだけど、美川さんのアクションがあまりに「出そうとしてる音」を反映してるんで、まるで音が聞こえてくるかのようだったよ」。みたいな感じでした。これはもうライブのだいご味というか、ヒトの存在が音楽の激情そのものに乗り移った現場ならではの錯覚ですよね。

 かなりの昔に雑誌で読んだ文章をちょっと思い出しました。私が非常に好きな文なんですが、確かサーファーズ・オブ・ロマンチカとかそんな感じのバンドだったかなと思います。他にも少し似てるバンドがあった気もしますので自信は無い。そんでまた確かギターの人が語った内容じゃなかったですかね。非常に不案内で申し訳ないんですけど。うろおぼえもいいところですが。

 ステージに上がるなり「決めてやる!」って感じにドカンとアンプにシールドぶっ刺して気持ち良くギターを弾いてるんだけど、ジャック穴じゃないところにプラグをぶっ刺してるもんだから音なんか全然出てないんだけど、そいつの頭の中ではタエなる調べが鳴り響いててすごくハッピーみたいな。そんな感じ。ソレが理想みたいな。そんな内容だったと思います。

 とても狂ってます。それに音が出てない以上ギタリストとしては断じて役には立ってない。意味ありげな存在ではあるかもしれませんけど。
 故・赤瀬川原平さんのおっしゃっていた「トマソン」の音楽家版みたいです。だけど面白い。
 そこまで行けちゃったら確かにスゴいのかなって気もします。

 聞こえないんだけど通じて来るその場の音楽っていうんですかね。
 なんだか私もわからなくなってきましたけど。
 ここまで書いてきた内容とツジツマを合わせるならば、「書き譜でありながらソレを感じさせない鈴木俊哉さんの真に迫った演奏が素晴らしい」って感じですかね。

 私としても楽音からの非楽音への接続っていう技術はすごくモノにしたいなって思います。
 なんか突然に実利的なおハナシにしちゃいましたけど、この辺でいいかげん終わりにしようかと思います。ありがとうございました。