きりかえの風景(空と雲)

sky-and-clouds

 NHKラジオ第1「すっぴん!」にてパバロッティ氏歌唱による「オー・ソレ・ミヨ」を聞きました。火曜パーソナリティー・ユージさんのご選曲。大変なオペラファンである歌の先生に指導を受けた際の思い出の曲なのだそうです。

 2日続きでオペラの話題が続いた「すっぴん!」なのですが、やはりあの強烈な世界にノメり込むと人柄まで素晴らしくなってしまうのか、先生はレッスンに入る前のあいさつからして「オハヨ〜〜〜!」みたいな感じの美声だったという、とても楽しいエピソードでした。
 マンガの登場人物としてそのまま出ても、埋もれずに輝きそうですね。

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 ラジオ第2の「ニワトリのレクチュア」はかなり時代も現代に近づいてきて江戸時代まで来た感じです。チャボが大変に可愛がられてたという紹介などもありつつでした。
 ここにきてようやく「夜と昼を分かつ象徴的な存在」みたいなものから割と普通のトリ・ポジションになってきたみたいです。かなり長くかかった印象です。
 このレクチュアを聞き始めてから個人的な関心は「現代人のもつニワトリ・イメージ」と「昔の(霊的?)イメージを象徴していたニワトリさん」。この両者のさかい目は、どの辺にあるのかな?ってことだったんですが、江戸時代まで来ました。
 どうも先生のお話によると品種改良でニワトリが華美になったあたりと重なるのかなって感じですけど、まぁそれ以外にも科学的な知識が広まってきて宗教観に変化が生じた…なんて要素もあるのかもしれないです。

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 NHKラジオのウェブ・サイトが根本的にリニューアルして、聞き逃した内容、その多くがさかのぼって聞けるようになっています。

 先週金曜日に社会学者の岸政彦先生と、小説家の高橋源一郎さんの対談を聞きました。
 実は昨日も聞きまして、非常に楽しい内容だったんですが、ラストの7分間くらいが個人的に非常に興味深い内容でしたので、本日改めてメモを取りながら聞きました。

 だいたいの内容は、個人の体験を聞き取りする時に現れる現象についてです。かなり過去の体験、しかし非常に過酷な体験。それを語るときに「今」と「当事」が錯綜して折り重なるようにして語られることがあるというコトでした。
 記憶が溶けてゴッチャになっているんじゃないかってお話なんですけど、いやそうじゃないと。一連のセンテンスに時間系が全部入っている。これを高橋さんは「豊かな語り」と呼び、岸先生は「実存を感じる」とおっしゃってました。
 歴史を整理する時に、ともすれば冷たい感じになってしまう場合があるのだけど、それを血の通ったものにしようとするならば、そうした「語り」も添えるべきじゃないか、というお話だったかな、と解釈しましたけど、私の理解ですのであやしいですよ。

 しかし考えるに、時間軸が行ったり来たりアッチ・コッチ・デッチな感じというのは例えば歌の歌詞ですね。あれなどは割と行単位でバラバラであっても成立しますので取り入れやすい。
 小説でいうと私の好きな世界でいうと安部公房さんの「箱男」でしょうか。何べん読んでもよくわからないんですけど。

 岸先生と高橋さんの対談で語られていたのはそうした芸術のフィールドだけじゃなしに極私的な体験に根ざした記憶の語りにもそれが顔を出す。みたいなお話だと思うのですが、私を惹きつけてやまないのは首尾一貫していないように聞こえて、実はひとつながりっていう部分です。
 まぁ要するに私が描いているマンガにそういうものを取り入れたい。しかし私のような未熟な人がそれをやると単にバカなお話になりそうではあります。

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 大変に長くなって申し訳ありません。お詫びのシルシに私が本日撮影してきた富士山のお写真を添えておきます。
 季節も夏に向かいつつあり、「そろそろ富士山の雪は見納めかな………」って感じの今日この頃です。
 いつも通りに「色彩においては」だいぶ写真に手を加えて富士山をグレートに見せてみましたが、雪の残っている感じなんかはそのままです。クリックしますと少し大きくなります。

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