てつぼうでケガをしたガール

in-the-playground

 長い日記を書いていたら更新が遅くなってしまいました。すみません。

 ラジオを朝からお昼まで聞きました。
 よく聞く「すっぴん!」でレッド・ウォリアーズ。結成30周年の区切りの年なんだそうです。シンプルで豪快なリフでありながら繊細さを感じさせる非常に良いギター・サウンドでした。

 続く別コーナーにおいて、パガニーニ氏という、ヴァイオリンの名手としても知られる作曲家について語られました。この方は、割とロックミュージシャンにもウケの良いクラシック系の人材なのですが、本日の番組パーソナリティのユカイ氏もファンであると語っておりました。

 パガさんは非常に手が大きい方で「自分しか弾けないような曲」を作った事でも知られています。ラフマニノフさんにもそんな逸話が残っていたように思うんですけど、そんな話題の中、藤井アナが自分もグーを握って親指が小指側に突き抜けるほど長いのだ、という驚愕の告白をぶち上げたものですから期せずして盛り上がる局面でした。しかしうらやましいですね。ギターのネックを握った親指が6弦、5弦を押さえられそうなイキオイです。ヘンドリックス的なボイシングも自由自在ですよ。
 戻しますが、パガさんの手の大きさや指の長さは病気によるもので、晩年は体調も良くなく、60歳に届かず亡くなられてしまったのだと初めて知りました。気の毒。しかし芸術家としてはこうして現在まで名前が残っているので相当なものです。
 時代的には市民階級の台頭を迎えていたあたりで、多くの聴衆を熱狂させた事なども知れて有意義でした。とかく超絶技巧が取り上げられがちですがリリカルな詩情あふれるメロディーメーカーであった事も押さえられていて良い紹介でした。
 ご紹介役を務めた先生は絵画にも精通されているため、パガ氏を捉えた肖像画についての分析にも聞くべきものを感じました。

 別のコーナーで沢田研二さんの「どうして朝」を聞きました。初めて聞いたんですけど、80年代初頭において沢田チームがノリに乗っていたのだなと改めて思わされました。時期的にはアダム・アンド・ジ・アンツ期の直前ってコトになるのでしょうか。沢田バンドのアンツ解釈も私は非常に好きでした。

――――――――――――――

 お昼前には「アメリカン・ミュージックの系譜」についての番組を聞きました。私にとって有益な良い講義。先週の夜の再放送でしたが再度の聴取です。

 しかし当時のポピュラー・ミュージックの基本的な成り立ちが、黒人音楽の希釈とか洗練を加えた再生産が主であるため、どうしても差別的な構造に触れずには通ることができないワケで、絶望的な感情も抱きながらの学習となりました。
 以下は個人的なメモです。番組で語られた内容を超えて、個人の印象なども含んでいます。

●ミンストレルショー
●スティーブン・フォスター。人生としては不遇だったと知ってショック。
●ジョージ・ガーシュイン
●ポール・ホワイトマン
●マイクロフォン。電気的な音量増幅の誕生
 クルーナー唱法。ココロのキビにいたる領域への表現を可能にした(欧州的、叙事詩的な歌い上げるスタイルに対するアメリカ流カウンター)(私的にはロイ・オービソン。ハンドル・ウィズ・ケアですよ)
●音楽の大量生産、大量消費という過酷な状況にありながら、質的な軽やかさ、エレガンスといったものにアメリカの豊かさ、若さがあらわれているのではないか
●アーヴィング・バーリン
●曲『チーク・トゥ・チーク(私的にはタコのエレポなカバー)』
●ジュディ・ガーランド。黒人的な発声を取り入れたと言われている
●曲『虹の彼方に』。やっぱり感動的な曲だとつくづく思いました。
●アル・ジョルソン
●エディ・カンター

 個人的に色々と調べていたら、さらに気が重くなってしまいましたが、時代が古いだけに差別の原理、心理などがムキ出しになっている面も多々あり学ぶべき部分も多いのではないかっていうのが収穫であるのかなと思います。