あまり深い考えもないままセンザンコウ氏に山ぶしさんの格好をしてもらって、はや2日目です。
山ぶしとは、山中で修行をするモノだそうですが、私の住む静岡県・富士市において「山」と言えば「富士山」。
「霊峰富士」なんて言い方もあるくらいですので、当然ながら昔は富士山にも山ぶしさんがウヨウヨしていたらしいです。
それら山ぶし一族のベースキャンプ的な神社が村山浅間神社というらしいのですが、けっこう近所ですよ。
まぁそれはさておき、上のイラストでは神社から100メートルくらいですかね。西に少し離れた見晴らしの良い場所でほら貝を吹くセンザンコウ氏を想定して絵にしました。
ココは土地が少し平らになっているので富士山がよく見えます。
目を海側に転じると富士宮の市街もよく見えて眺望の点では非常に良い場所です。
ちょっと話がそれるんですけど、「ゴジラ対ヘドラ」っていう映画がありまして、私がオギャーと産まれた富士市は柳島(やなぎしま)という土地の目とハナの先の「田子の浦(たごのうら)」っていう港で怪獣さんが戦うおハンシです。
その映画の後半では港を離れて富士山の近くで死闘が演じられるんですけど、あのだだっ広い場所はドコなんだというのが地元民としての私の素朴な疑問です。
ああいうフリーな土地は非常に限られるんですよね。だいたい傾斜してますし。
本当に私の近所でいうと富士市の運動公園のあたりが比較的だだっ広いですけど少し狭いかなと思います。
現実的な広さを備えた場所でいうとかなり高度を上げますけど十里木の方の「富士山こどもの国」とかでしょうか。
それと上述いたしました村山のアタリですよね。
過去からの信仰的な伝説も詰まっていますし、村山説はけっこうイケるんじゃないかと思います。
もしかしたら映画の上ではキチンと「どの辺だ」みたいな設定がされているかも知れないのですが、私なりに考えてみました。
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本日はスーサイドというアメリカは二人組のアルバム「アメリカン・シュープリーム」、「80年のマックスズ・カンサスシティでのライブ盤」を聞きました。今はファーストの「ジョニー」を聞いています。
アラン・ヴェガが死んでしまってもうスーサイドの新作は聞けないと思うと悲しいですね。
ただし残されたマーティン・レヴ氏の場合、ソロで作ったトラックをスーサイドに流用することもあって、ソロとスーサイドの区別がついてるんだかよくわからないところがありますので、レヴ作るところの音に接する際は「ココにヴェガボイスが乗ることもありえた」って感じに聞くことも可能だと思ってこの先は過ごそうと思います。
私にとってのスーサイドを音にしてまとめる必要があると感じているんですが、まだ手をつけられずにいます。
こんなコト書いてるうちに曲は「フランキー・ティアドロップ」に進みました。
ちょっと後半の「ギイーン、ギイーン」っていうような無機質な感じは、クラスターのセカンドにも似てるかなって思います。