昨日、ルートを立案したり、目的地を調べたりしました。しかし、いざ自転車で行ってみるとけっこう迷いました。
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まずは市内で最大の大きさだという浅間(せんげん)古墳。
(以下の写真は、1点を除いてクリックすると大きくなります。)
予想より大きかったです。私のカメラでは写しきれませんでした。
全体の長さが100メートル近いとか。実際に足を運んで、見てみないと分からないものだな〜と思いました。
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次は海の方角へ。JR東海道線の線路の脇にある庚申塚(こうしんづか)古墳です。
双方中方墳という珍しいカタチらしいんですが、ご覧の通り、何がどうなってるのか分かりません。
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山ノ神古墳です。庚申塚古墳とほとんど隣接しているので、ついでに見たんですが、この写真を見せられて「古墳か?」と思える人はほとんど居らっしゃらないのでは。
(この写真はクリックしても大きくなりません。)
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古墳を作った昔の人もスゴイと思いますが、「これは古墳だね!」と見抜ける人や、「う〜んコレ、前方後方墳だね!」と判別出来る人がスゴイんじゃないかって思えて来ました。まぁ即座にピーンと来るって言うものとは違って、綿密に調査して会議したりして決まるのかなと思いますが。
自転車に乗りながらマンガの主人公を考えてみました。
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次は沼津です。沼津港を過ぎて奥に進むと次第に景色は「伊豆!」って感じになって来るんですが、ヨットが係留してある地域の後方、岩山の斜面に横穴がバンバン掘ってあります。これも古墳時代の墓なんだそうです。江浦横穴群(えのうらおうけつぐん)と言うそうです。
けっこう生々しい穴で感動しました。当時感がビンビン伝わってまいります。しかしヤブ蚊なのか耳元で「プ〜ン」「プ〜ン」と飛び回っていて身の危険を感じるほどでしたので写真を2枚撮ったのみで退散しました。山道を虫に追われてかけ下るなんて、昔話に出て来るノンキなおじさんみたいだと思いました。古墳を訪れるのは冬場の方が良いようです。
坂の上からの風景が伊豆っぽい感じでしたので、写真に撮りました。
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続いて沼津の中心街に戻りまして、辻畑(つじばたけ)古墳です。
ここは、以前から来たかったんですよね。ニュースで見た事があるってそれだけなんですけど。見た感じは、ビニールシートで覆われているタダの空き地のようですが。
道路建設の為に神社を移設してみたら地面の下から古墳が出て来たヨ、というストーリーです。どうやら国内でも最古に類する古墳ではないかともっぱらのウワサ。すぐそこまで道路が敷設されているので、古墳はドコかに移設されるんじゃないでしょうか。
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続いて沼津の東名インターチェンジ付近を北上、ほどなく新東名沿いにある清水柳北1号墳です。
1号って言うくらいですから他にも古墳があったようで、古墳群であったとか。
ここはカタチが珍しい。そして復元した古墳という事で、私のようなシロート目に見ても理解しやすくなっています。誤解の付け入るスキがございません。
こういうのを下方上円墳と言うそうです。けっこうレアなんだとか。
これはもう古墳時代が終わった頃に作られたモノでちょっと新しいとか。形式は古墳ですが、火葬したお骨を石に納めたそうです。
以下はご紹介した「清水柳北1号墳」とはまたちょっと別のお話しになります。
火葬は仏教から来るもので、日本においてはニューウェーブなんですね。朝廷的には「これからは仏教形式。古墳じゃなくてお墓を作るように」ってことだったそうですが、静岡は中央から離れていますし「そうは言っても小さいお墓より、古墳の方が見栄えも良いしグレートだ!」みたいな心情が残っていたみたいです。ホノボノしてますね。やっぱり静岡の人は昔からノンキだったのかなと思いました。
ちゃんとした身分のある人の古墳作りは、朝廷の意向もあって終わって行くんですが、「古墳。カッコいいよね…男のロマンだよね…」と思ってやまない身分はさほどではない、がしかしお金はあるって人が「マイ古墳」を作るムーブメントが存在したそうで、実は我が富士市内に古墳の数は600とか言われているんですけど、そういうインディーズな古墳も数のうちに含んでいるみたいです。
そんなヨモヤマとは無関係ですが、新東名高速道路がカッコ良かったので1枚、写真を撮りました。
(読み返してみたら、誤解を招きかねない箇所がありましたので、後日、加筆いたしました。失礼いたしました。)