まずは仕事の進捗状況なんですが、なんとか化学イラスト10点。ペン入れが終わりそうです。
暑い日が続きますが、ようやく体温が適応出来たようです。今日は比較的、集中出来たので進みが良かったです。
■■■以下、『追悼ジョン・ロード』です。■■■
と言ってもやはり私はパンクロックと電子音楽の人間なんで大した思い出はありません。
高校生の頃にラジオでディープ・パープルのカッコいい曲の一つを聞いていた時、不意に気付いて驚きました。
私がギターの音だと思って聞いていた音が、実はオルガンの物だと分かった瞬間です。ショックでした。まるでギターに負けていなかったのです。
当時の私は「歪んでいる音は全部ギター」という風に考えていたんですね。同時に鍵盤奏者は野性的な趣向とは無関係と思っていました。
そんな訳でジョン・ロード氏は私に鍵盤楽器の知られざる一面を教えてくれた訳です。
ちなみに私が洋楽に興味を持ち始めた頃にジョン・ロード氏はホワイト・スネイクというバンドのメンバーでした。ディープ・パープルは(一時)過去の物になっていたんですね。
ホワイト・スネイクと言えば言わずと知れたデヴィッド・カヴァデールのバンドです。私はこの人が大の苦手です。当時のデビカバ氏はジーンズの上にレッグ・ウォーマーをはくという80年代のごく一時期にしか見られなかった様式を早速取り入れていて、とてもヤな感じでした。
脱線ついでに言うとその頃のモーターヘッドのギタリストはブライアン・ロバートソン氏でした。通称ロボ。この頃にモーターヘッドは来日しているんですよね。
実は、ロボ参加時のモーターヘッド唯一のアルバム『Another Perfect Day』が、豪華仕様で再発されています。現在聞いている所です。なかなかの好盤です。ちょっと言いにくいんですが故ワーゼルやフィル・キャンベルが加入した後の作風よりも好きです。こういう言い方すると現在に至るまでの20数年を否定する事になってしまうんですが、苦手なのは主にギターソロについてで、他の部位は大丈夫です。
話をジョン・ロード氏に戻しますが、高校生だった私に強烈なオルガンサウンドを教えてくれました。しかし私はそれ方面へどっぷりと浸かる事は無く、ジャパンとかのダークで耽美なシンセサウンドの方が好きでした。ニュー・ウェーブ少年だったんですね。
その後、私は東京にあるデザイン専門学校でイラストを学ぶ事になります。
クラスの友達にイングヴェイ・J・マルムスティーン(以下、YJM氏)を信奉するギタリストの男の子がいました。懐かしいですね。北海道は北見市から来た私より更に小柄な人でした。あそうそう、YJM氏というのはヘヴィメタル方面ではとても有名なギタリストです。ディープ・パープルはロックにクラシックな要素を混ぜて、しかもそれがプログレ方面とはまた違った方角を目指したバンドと言えると思うのですが、そういったクラシック指向を更に押し進めたのがYJM氏と言えるでしょうか。ちなみに私はこの方の演奏が大の苦手です。別に個人をピンポイントに苦手にする訳ではなく、彼に続くネオ・クラシカルなギタリストは総じて苦手ですので、筋は通っています。
リッチー・ブラックモア御大がセーフで、YJM伯爵がアウトって言うのが微妙なラインなんですが。
ある日、学校の購買にディープ・パープルのコンサートチケットが売られている事に気付いたのは、私が先だったかYJMファン氏だったか。鳴り物入りで再結成したディープ・パープルの日本公演・武道館のチケットでした。いわゆる5期パープルですね。
購買のお姉さんによると、非常に悪い席だという事でしたが、我々2人は、購入を決意。ライブの日を迎え、九段に向かった訳です。初めて見に行く外国バンドのロックコンサートでしたので非常に高揚しましたね。
席に着いてみると聞きしに勝る壮絶に悪い席でした。バンドの背面です。ステージがほとんど見えません。
加えて、前列の席の女の子達がジャーメイン・ジャクソンの話しかしていません。ナゼなんだって感じなんですが、余った券を貰ってやって来た子達だったのかもと思います。そんな推測も成り立つような良くない席でした。
演奏が始まると、凄く大きい音で、当時、演奏の善し悪しが分かる耳には育っていませんでしたが、大満足でした。壮絶にカッコいいと思いました。帰り道も川崎の寮に着くまで興奮が残っていたほどです。
しかし問題はやはりビジュアル方面で、私が見たのはボーカル氏の後頭部。ギタリスト氏の後頭部。そしてジョン・ロード! 彼だけは割と良く見えて、オルガンをユッサユッサと揺らしているのにビックリしました。倒さないかとハラハラしました。執拗に揺らしていましたね。ほとんど揺らしっぱなしという印象でした。
そんな訳でして、コンサートにおいて私が見たのは主にジョン・ロード氏の所作だけだったのです。
音楽としてしかディープ・パープルを知らなかった私が、初めて視覚的に出会った瞬間ですね。ただし主に後頭部とジョン・ロード氏の上半身でしたが。イアン・ペイスなんて影もカタチも見えませんでした。ロジャー・グローヴァーはどうでしょうね。それ以前におそらく当時の私は一目でベースとギターを見分ける力は無かったと思います。
そんな訳でして、初めて見た外国バンドのロックコンサートは主にジョン・ロード氏のハモンドユッサユサ奏法のみでした。今回の訃報に接し、感慨深い物があります。
その後、ロック全般を聞き進めるに従って、私は、レスリーがゴロゴロ言うオルガンサウンドよりは、レイ・マンザレク。あるいはストラングラースと言った比較的素直な音。更に言えばB-52’sの安っぽくて薄いオルガン。最終的に居心地が良かったのはベルベッツとジャーマンプログレが衝突したかのようなステレオ・ラブのファルフィッサ系といった所に落ち着いたのですが、それでも最初の出会いがジョン・ロード氏で良かったと思います。ロックのオルガニストとしては、やはり最大の巨人だと思います。問答無用です。
亡くなられたのは残念で悲しい事ですが、音源に残された音は永遠ですし、これがまたべらぼうにカッコいいのですから、未来に渡って聞き続けられるのではないでしょうか。
しかし実際の所、私が本日くり返し聞いたのは、アローナイツの『ぬれて大阪』のオルガンサウンドだったのです。何と言う事でしょう。