博物館で、古い絵ハガキを集めた展示を見ました。

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 公園に行ったついでに併設の博物館にも訪れてみました。


 古い絵ハガキを集めた展示です。私はてっきり、富士市の昔の姿を集めた絵ハガキをたくさん見られるのかな?と想像して行ったのですが、国内の色々な観光地や、外国の絵ハガキ等も含めた総合的な展示でした。
 考えてみれば、富士市内の風景から、そんなにたくさん絵ハガキが作られるという事は難しいのかも知れません。しかしそれでもけっこうな枚数の富士市の昔の絵ハガキを見る事が出来て、なかなか楽しかったです。
 特に印象に残ったのは、浮島のあたりを映した絵ハガキです。船が浮かんでいました。
 昔、そのあたりが沼だったという事は、なんとなく知っていたんですが、船が入って行けるくらい水が多かったと知り、ちょっとしたショックでした。むしろ私の感覚では池に近い風景が映っていたのです。
 浮世絵で、浮島のあたりに船が浮かんでいるのを、過去に見た事があったかも知れませんが、浮世絵って、まず第一に商品ですから見栄えを考えて、位置関係や形を変えて描かれる事もありますので、完全には信じられません。中にはその地を訪れずに、文字情報だけから描かれた絵もあったりします。他には浮世絵独特の様式を守るための変更がなされる事もあるように感じます。しかしその点、写真ですと説得力が違います。もちろん相当な昔から写真合成の技術は存在していた訳ですが、現在の目から見ますと、割と簡単に見破れてしまいます。そんな訳で、今日見た写真は、私に、富士市の海よりの地帯の昔の実際について強い印象を残してくれました。
 もうひとつ、印象に残ったのは富士山の登山道です。二合目などにも登山客相手の施設が存在していたのです。今は、新五合目まで車で行けてしまうので、そういったお店は無くなってしまったという事でした。聞けば、なるほどと納得してしまいますね。
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 昔の人たちにとって、絵ハガキって、情報を知ったり交換するためのツールという性格が強かったのだそうです。テレビの無い時代ですし、新聞に掲載される画像もかなり粗かったでしょうから、美麗な印刷の絵ハガキをもらう喜びというのは、相当に大きかったのではないでしょうか。
 そう考えると、絵ハガキって当時の最先端の一翼を担うメディアです。
 絵ハガキという形態は、ロシアで起こったそうで、その後、30年ほどして日本でも流通する事になったそうです。当時の30年というタイムララグは意外に小さいと思うのですが、どうでしょうか。私としては上に書きました通り、人の心がそういったメディアを欲していた事がそれほど遅くない時間を経て、日本でも繁栄する事になったのではないかなと想像する次第です。
 ともあれ、そうした「最新の情報」を載せた紙片が郵便ネットワークにより行き来していたのだと思うと、イマジネーションがかき立てられます。
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 私は印刷業界の一端に属する人間ですので、「印刷物を作る側」からの視点で、展示を眺めたのですが、印刷技術の向上を、確かに感じる事が出来て感心しました。
 デザイン的な目から見た収穫もありましたが、全面にただ写真を印刷しただけのハガキの方が多かったですね。しかし見る人にとっては写真が少しでも大きく刷られている方が嬉しいでしょうから、当然の事です。
 他には、イラストで描かれた絵ハガキも何枚かあり、これも興味深かったです。