P.K.ディック『ドクター・ブラッド・マネー』再読いたしました。

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 『ドクター・ブラッド・マネー』。題名だけ見ると、ちょっとオドロオドロしいのですが、中身はかなり良いです。

 ディックの代表作のうちのひとつである『高い城の男』を読んだ時のような、どっしりとした足場の確かさを感じます。それでいてディックの小説に良く出てくるエキセントリックな登場人物は健在。非常に引き込まれます。安心してディックの繰り広げる異常な物語に身を任せる事が出来ると言った案配。
 そもそも題名についてはディックの責任は薄いようで、編集者が持ってきた物なんだとか。ディックに素案はあったらしいのですが、端的に売れる物にしたいよ!という編集者の意向に勝てなかった感じ。英語の原題は、ピーター・セラーズの良く知られた映画『博士の異常な愛情』をもじった物になっています。
 ディック自身、このお話の出来上がりに小さからぬ自負を持っていたようですので、変なタイトルにさせられてしまって落胆したかも知れません。しかしタイトルの押しつけは別に珍しい事ではなく、ディックも何度か経験していたようです。それどころか、タイトルと表紙のイラストはすでに決まっていて、それに合わせた内容の小説を書くという仕事をこなした事もあったはず。もっともそんな仕事を課せられたディックの当時の本当の心境は、私に分かる訳もありません。意外と楽しんで書き上げたという線も捨てきれない。しかし、そうは言ってもハナから割り切れる仕事と、書き進めるうちに手応えを感じていた大切なお話に、編集者が軽い気持ちでホイホイと「これどうよ〜」的に持ってきたタイトルを付けられる事はかなり場合が違いますね…。何となくしょげ返るディックの表情が見えてくるような気がします。
 いずれにしろ、もし私が「ディックのおすすめを教えて欲しい」と請われる事があっても、一番には薦めにくいです、このタイトルだと。私も長年、間違った印象をこのお話に対して抱いていました。それだけに初めて読んだ時の驚きと嬉しさは大きかったのですが。
 この小説は以前に、サンリオSF文庫として刊行された経緯があります。
 サンリオSF文庫って、おおざっぱですが四半世紀も前の話になるのでしょうか。私は当時、熱心なSF読者ではなかったのでその存在を知りませんでした。かろうじて横田順彌(よこたじゅんや)さんのハチャハチャSFをサンリオ系の文庫で1冊か2冊持っていた程度…。
 サンリオSF文庫は割と短期間で姿を消したという事ですので、私がディックのサンリオ系著作を書店で手にする事は無かったのです。もっとも今思うに、二十歳より前の私にはディックは難しかったかも知れません。結果的にちょっと遅くなりましたが、精神年齢的には適切な時期にディックに出会ったと思っています。とは言え、出会った以降は、その著作のすべてを読みたいくらいハマってしまった訳で、サンリオSF文庫の撤退を知った時にはなぜ間に合わなかったのかと残念に思いました。その後悔から20年くらいして、この『ドクター・ブラッド・マネー』(東京創元社刊)を手にした訳です。ちなみにこちら新訳です。
 前にネットで、ある方の書評を読みました。以下のような部分が記憶に残っています。「この物語の主人公を、ディックとしてはセールスマンの黒人青年としていたそうだが、ちょっと受け入れ難いような…」
 私も、今回読み返してみた訳ですが、いったいこの物語の主人公は誰なのでしょう。ディックは多視点と呼ばれる手法をごく自然に使いこなす人ですので、結局主人公が誰なんだか分からないお話で一杯です。
 とりあえず私には、中学校校長の妻、ボニーが主人公だと思えます。かなり普通の感覚すぎて恐縮ですが。
 ボニーは最初、ごく普通の落ち着いた人物として登場したのかと思ったら、章が進むにつれてかなり印象が違ってきます。この人物が持つ激しい衝動というかドロドロとした欲望、尽きる事の無い欲求が明らかになっていく下りは、意外でもあり、なかなかの読み応えです。ディックの主流文学『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』にもこんな感じの女性が出てきたような気がします。おそらく良く似た実在の人物をディックは知っていたんでしょうね。
 その他ですと、かなり後半にならないと出てきませんが、ボニーの娘の体内に小さく寄生する形で意識を持ち、自己主張をする双子の弟の存在が光ります。弟が姉の体を抜け出しフクロウに寄生して、鳥の目線を借りる場面の目まぐるしさは、私にとってこのお話のハイライトです。姉弟の意識下におけるやり取りも、子供らしくリアルです。無邪気なだけではない超然とした動きが良く描かれていると感じます。大人になると忘れてしまいがちではないかと思いますが、子供なりの醒めた感覚と言いますか、そう言った物をディックは忘れない人だったのかなと思います。
 その他にも印象的な登場人物が数多く出てきます。非常に豊かなディック・ワールドです。次に読み返した時にも充分に楽しめる事でしょう。その日が楽しみです。
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 以上のような、私としてはいつもの調子で、のんきにただお話を楽しむのも良いと思いますし、それこそが私本来の身の丈かなという思いもありますが、このお話でディックが伝えたかった事って何なのでしょう。
 このお話は上で述べた通り、かなりどっしりとした土台を感じさせる物で、ディックお得意のほぼ反則な、筋の跳躍とかはありません。時間と場所の移動が何カ所かあって戸惑う部分がありますが、一貫した物になっていると思います。更に、エスパーが出てきて異常な力を発揮しますが、それもおおむねいわゆるSFとしては無理の無い範囲に収まっていると思います。
 しかしそんな中で、さすがに不自然というか、いくら何でもイっちゃいすぎている…という部分に注目したいです。それすなわちタイトルで『ドクター・ブラッド・マネー』と称されたブルーノ・ブルーゲルト。またの名をツリー氏。その人が発揮するあまりに異常な力でしょう。自らを責めるあまりに到達した、大変に過酷な精神状態。そこから引き出されたあまりに不思議な能力。この人物の異常さというのは、ディックの描くおなじみエキセントリックな登場人物たちを持ってしても相当に飛び抜けていると思います。なおかつビジュアル的に派手な能力です。
 結局、思いの強さが現実の途方も無い力として実現してしまう恐ろしさ、そう言ったビジョンをディックは描きたかったのかな、と考える今現在の私ですが、どうでしょうか。次に再読する際の宿題にしたいと思います。
 まぁ教訓的には、あまり自分を追い込んじゃいけないよとか、そう言った身もフタも無い所に行っちゃいますかね。私としてもこれだけ長々と書いて、結果がそれだけだとガッカリしちゃいます。こういった心の状態を、私の土地の言葉で言いますと「やいやい」とか「やーいよーい」と表現します。呆れちゃったね、とか、嫌になっちゃうねというような意味。ほぼ何も言っていないように見えて、その実、色んな感情を込められるという便利な言葉です。