P・K・ディック短編『フヌールとの戦い』を再読しました。

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早川書房『まだ人間じゃない』収録の『フヌールとの戦い』を久しぶりに読みました。
ディック本人がこういうお話を書きたかったのか、それともある程度、編集者の意向が反映されているのか分かりませんが、オチを含めてセクシーな描写が濃い一編です。


原題だと”フヌール”は、”Fnool”と表記するんですね。なるほど。
かなり残忍な宇宙人のくせに、どうにもバカバカしい発言を繰り返すフヌール。
これが本当におかしくて、つい笑ってしまいます。
作者であるディックも、書いていて楽しかったのではないでしょうか。
フヌールは姿形こそ人間にそっくりなんですが、身長が60センチくらいしかありません。おまけに全員同じ扮装をしている。ある時は不動産のセールスマンといった具合です。
その身長から、ひと目でフヌールだと見抜かれてしまいますが、フヌールたちにとっては、なぜ見破られてしまうかが一向に理解出来ない。
しかし、お話の中盤以降、フヌールの身長がある原因により伸びてしまいます。
ヒトと同じ身長になってしまうと、困った事に見分けが困難になってしまう。
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良く言われる事ですが、ディックはくどい程に『これは本物なのか?』『本物とニセ物の境目って何なのか?』という事を繰り返し書いた作家です。
このお話で言うと、小さかった内は見まごう事無き”宇宙人”として判別出来たフヌールが、どんどん大きくなって、”ヒト”との境目が分かりにくくなり、ついには全く判別不可能な状態に陥ってしまう。
ニセ物が本物に姿を変える恐怖というか、本物であったはずの自分たちがニセ物に浸食される恐怖というのか。
アイデンティティの揺らぎとも受け取れます。
笑い話に徹したような短編にも、自分の追求するテーマを潜り込ませるディック氏はしたたかというか、しぶといというか…。
私なりに考えてみたんですが、ふと、『大きさという点で差異があるのに、それを理解出来ないフヌール』という設定は、ディック自身のあらゆる事象を疑ってかかる眼差しになぞらえたのかも知れないと思いました。
「全く同じ姿形を備えているのに、大きさが違うだけで、なぜ別物と呼べるのか?」というような問いかけになるでしょうか。
私自身は、ディックの小説を読む事は好きでも、物事を深く考えるのは苦手なタチなので、いくら考えてもロクな答えに行き着く予感は無いのですが、とりあえず「機能」と「大きさ」という点について少し思いを馳せている最中なのです。