絵の仕事が終わり、曲作りも終えて、一息ついてしまっています。
ディックの短編をひとつ読みました。
翻訳家の浅倉久志さんがお亡くなりになったので、浅倉さんの訳した物を読もうと思っていたのですが、たまたま手にして開いたページは大瀧啓裕氏の手がけたお話でした。
というか、浅倉氏以外の翻訳家を意識していなかった事に気づきました。
大瀧氏って私の中ではディック後期の宗教的作品の翻訳のイメージがかなり大きかった訳ですが、こういうお話も訳していたんですね。
とは言うものの、設定その他、特別にディック独特の味わいみたいな物がそれほど濃くないお話ですし、訳者による違いが出にくい作品かもしれない、とも思ったりします。
短編という性格上、筋の運びもストレートです。
人物描写はあまり厚くはなくて、若干記号っぽい感じでしょうか。
この辺を掘り下げると、ディック本来の面白さは短編なのか、長編なのかというテーマに突き当たりそうなので、この辺にしておこうと思いますが、私個人は長編に好きな物が多いです。
長編。往々にしてディックの場合、グダグダとか、ツジツマが合わなくなっちゃうんですが、好きなんですね。
短編を支える”アイディア”とかよりも長編において幅を効かせ始める”手クセ”みたいな物が好きなのか。
いや、よりハッキリ言うと、長編においてディックが良くやる”オレの身の上話”が好きなだけの気がしてきました。
何度も結婚を繰り返し、おそらくそれ以上の女性をモノにしたディックだけあって(?)、”オレの話”を始めたディックには俄然、説得力が増す気がします。
説得力。そうですね。ツジツマが合わないとかさっき書きましたが、熱意と流れのチカラみたいな物で全体的に納得しちゃうのかな。薄々、アレ?って思う箇所は多々ある物の、「伝わっては来た…と思う」みたいな。
う〜む。私にとってのディックの一面が垣間見えて気がします。
漠然と思っていた事を文章にする事で、自分の考えが整理されてきて面白い。
しかし、次にディックについて書く時にはまた違った事を書いちゃいそうな気もしますが。
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上で、このお話はディック独特の味わいが少ないみたいな事を書いてしまいましたが、この手に分類されるお話はディック、結構書いています。
冷戦当時に書かれたお話で、将来、超巨大な戦争によって地球上がガレキに覆われてしまった後…。みたいな世界です。
短編に特に多いような気がします。
長編だと『最後から二番目の真実』とかでしょうか。
ディックの弁によると、このお話は、機械による自律的な集合体が、生物的な側面を非常に強くしていく様を追った物語…だそうです。
ディックって”人間らしさとは何か”とか、”自分の目の前にあるもの。これは真であるのか”というような事を、ひたすら追求した作家ですが、このお話では、機械に与えられたシンプルなプログラムが、図らずも生物的本能にも似た行動を引き出すまでの顛末を描きます。
もし、こうであったら無生物と生物の違いって、何なんだろうね〜というような問いかけがあるように感じました。
なんか全体的に固い感じに書いてしまいましたが、ディックらしくバカバカしいというか、吹き出してしまうような可笑しさも随所にある事を付け加えておきます。
オチもブラック・ジョークという印象ですね。
この文章も、軸の定まらない、いわゆる”ベトチン”なクオリティーに終わってしまいました。
多分、今日はこういったダラダラとした一日だったのです。
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冒頭のイラストはディックとは全く無関係。
古代の魚の『サカバンバスピス』君たちです。
生物が”アゴ”を獲得する前のお魚。
(2015年3月27日に文章を少し手直ししました。)