「公開・ヒトコマずつマンガ」カテゴリーアーカイブ

ホムホム虫

she-was-great

 本日もお昼前にラジオを聞きました。
 祝日プログラムというコトで「大友良英の音楽とコトバ」でした。
 前回の小説家・古川日出男さんの回も楽しかったので、今回は最初から聞きました。

 本日のゲストは美術家の毛利悠子さん。とても明るく楽しい語り口の方。大友さん相手にとても話しやすそうにしてらしたのが印象的でした。

 恒例である即興の生セッションはどうなるのか、と聞いておりましたが、毛利さんの用意されてきた電磁石等で動くオブジェと大友さんのE-ボウ・ギター&トイピアノの合奏という形式でした。
 オブジェから出る音がそれほど存在感のあるものでもなかったため、大友さんの音が出ずっぱりという感じでしたが、大友さんが目の前にあるオブジェを見た感じをスケッチして、対応しようとしている様子が伝わってきました。私は“円環”という言葉が頭に思い浮かびました。
 セッションの後にかかった飯島晃さんの「ロビン」という曲はさらに“円環”という感が強く伝わってくるものでしたが、大友さんが特に意図して用意された曲であったかはわかりません。

 ゲストの毛利さんは音楽が好きな方のようで、ご選曲も素晴らしいものでした。オーガネルズというバンドの曲が良かったです。
 私の好きなレインコーツというバンドの「ノーワンズ・リトル・ガール」がかかりました。うれしかったです。

 毛利さんの存在を初めて知ったのですが、大学では三上晴子さんなどから教わったのだそうです。

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 以上が番組を聴いた感想、みたいな感じですが、以下はかなり個人的なことを書きます。

 「いつか書かなくては…」と思っていたコトなんですが、どうやらその「いつか」は「今日」だったみたいです。しかし私の核心に近いコトガラでもありまして、書ききれるかわかりませんので極力簡潔に。

 「三上晴子さん」。「レインコーツというバンド」。あんまりつながりはないんですが、私の古い記憶の中では同じ日にとなり合って置いてあります。
 私が高校を卒業して専門学校に通い始めたゴールデン・ウィークだったと思います。奇しくもきっかり32年前ですね。私はその日、六本木という東京のカッチョ良い地区に存在していた“WAVE(ウエィヴ)”というレコードとかCDとかの音楽ソフト販売店に友達と二人で行きました。今日と同じくとても爽やかなお天気の1日でした。

 用事は地下だったのですけど初めて行ったお店でしたのでとりあえず1階を軽く見て回ろうというコトになったんですが、中はたくさんの人でごったがえしていてビックリしました。
 人の波の切れ目で一瞬ただならない眼光を放つ男性の姿が見えたのですが、どうやらそれが誰あろうブリクサ・バーゲルト氏だったんじゃないかと思います。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンというドイツのバンドのボーカリストなんですけど。それはともかく、会場の入り口あたりはあまり人もいないので展示物を見る余裕もあったんですが、これもノイバウテン関連の展示でのちに言う「半分人間」な感じのジャンク系サイバーなイメージっていうんでしょうかね。積み上げたテレビモニターにジャンクな意匠がかぶさってたりして、若干ナム・ジュン・パイクな感じもあったんですけど、「おぉ東京ってスゲー」と思いましたね思わず。
 あまりネットに三上晴子さんのお仕事一覧ってはっきりとは残っていないんですが、一部でこのノイバウテン来日時のWAVE展示も三上さんのシワザであるとの表記もあります。私が見た感じも確かにそんな感じでした。こんなコト書いてカン違いじゃなきゃ良いんですけどね。

 ヒトも多いし時間もない。本来の目的である地階に行こうってコトになりました。地下は映画館になっていて「みつばちのささやき」っていう映画をやっていました。階段のところで少し待つ時間があったんですが、そこで流れてきたのがレインコーツの3枚目のアルバムからの「ウー・ウー・ラ・ラ・ラ」でした。ものすごく感激しました。これから見るという未知の映画ではあるものの「みつばちのささやき」という映画に私が持つイメージと完全に一致していたからです。
 レインコーツを知ったのはNHK・FM「サウンド・ストリート」で渋谷陽一さんがかけてくれたからなんですけど、そのあとに誰ともレインコーツについて話をしたコトはなかったですし、誰かが話題に挙げるのを聞いたコトもありませんでした。それがごくアッサリと映画を待つ階段で流れてきたので「オレ以外にこの曲がこの映画に合うと思った人が存在するんだ!」っていうのが大きな驚きであって同時にとてもうれしいというか、勇気づけられる気さえしました。

 そんでもって映画「みつばちのささやき」なんですけどやっぱり素晴らしかったです。この映画はとりわけ「瞳がとても大きな女の子」の存在で語られる傾向にあるんですが、画面の質感が非常に素晴らしいのです。目が粗いっていうんでしょうかね。風景的にも荒涼としていて、エゴン・シーレが描く風景画にも似た感じです。
 音としては「ボ・ボ・ボ・ボ・ボ」って感じの風の吹く音でうもれているんですけど、このローファイな感じがすごく良くて。私がビット数の低いディレイとかテープエコーが好きなのは多分この映画が起点じゃないかと思います。

 上の方で「女の子の存在はとりあえず置いておいて」みたいに書いちゃいましたけど、現在、当ブログで連載中のマンガに出てくるおかっぱのモルちゃんとくせっ毛のアンナちゃんなんか、そういう目で見ちゃうとモロですね。否定できない。もしかしたらそうかも知れませんけど、全然アタマにはなかったです。

 いつも非常に立て込んだ文章ばかり書く私ですが、本日は特にヒドかったですね。少しは伝わりましたでしょうか。
 32年前の5月のある日にとても有意義な体験をしたよっていうおハナシでした。
 私が描くイヌとかネコっていつもお尻の毛並みが爆発していて毛ヅヤが足りない感じなんですけど、その辺も、もしかしたら「みつばち〜」起点なのかな、なんて思います。
 しかし長かったですね。申しワケない。ココまで読んでいただいて、ありがとうございます。

どうぶつや虫に語りかけるガール

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 NHK・AMラジオ「ひるのいこい」において、山口いずみさんの「緑の季節」という曲を聞きました。良い曲でした。今日が「みどりの日」の祝日ということで、ザ・タイガースの「緑の丘」という曲もかかりました。

 ラジオ番組「すっぴん!」を聞きました。本日は大きなスタジオに大勢の聴取者を招いての特別企画「大人の恋愛」というテーマが組まれていたようです。
 音楽的なコーナーとしてはタブレット純さんがご出演されました。
 南州太郎さんの古いシングル曲がかかりました。「おじゃまします」という題名でした。そのまんまでしたね。こんな歌を出されていたとは初めて知りましたので大変おどろきました。しかしイイもの聞かせていただいて感激でした。

 その他、タブレットさんが口にした小さな情報から平浩二さんの「バス・ストップ」と三好英史さんの「雨」を作詞された方が同一人物だと初めて知りました。千家和也(せんけかずや)さん。言われてみれば聞き覚えのあるお名前だと気付いたという、私の至らなさなんですけど、お仕事を調べてみたら大作詞家でしたよ。不明を恥じる以外の何物でもないですね。いやはや。
 実際私の中でもこの両曲は近い位置にあったのに、同一人物がかかわっている可能性に思いが至らなかったのが非常にクヤしいです。

 洋楽ポップスの同名曲「バス・ストップ」はグレアム・グールドマンが10ccに入る前に作ったヒット曲です。ホントよくできた曲ですよね。すごい好きなんですけど、こうしたマイナーキーで情熱的で叩きつけるようなビート感って私の中ではザ・ダムドの「ファン・クラブ」とか「ワン・オブ・ザ・ツー」なんかに直結してるんですけど、おかしいでしょうか。まぁいずれにせよ何を語らせてもパンクロックにしか終着しないという私ならではの狭い世界観ですよね。

ふたたび穴の中

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 NHK・AMラジオ「ひるのいこい」において「緑の牧場」という歌を聞きました。津村謙さんの歌唱。近江俊朗さんのバージョンも存在するようです。良い曲でした。
 「緑の牧場」の作曲者は江口夜詩(えぐちよし)さん。「憧れのハワイ航路」が代表作でしょうかね。岡晴夫(おかはるお)さんですよ。

 江口さんの経歴を少し調べてみたんですが、「忘られぬ花」という曲のヒットで流行曲作家に転じたということです。「忘られぬ花」を歌った松平晃さんはかなり苦労されたようで、49歳という若さでお亡くなりになるんですが、長女の方が「北風小僧の寒太郎」の作曲で知られる福田和禾子(ふくだわかこ)さんだそうです。誰でも知ってるポピュラーな曲ですよ。この福田さんもすでに故人だそうですが、藤山一郎さんが晩年までピアノ伴奏を依頼していたのだとか。藤山一郎さんといえば私のようなパンクロック愛好家にしてみれば異常なまでに折り目正しい音楽性なワケですけど、その氏に長年重用されたということであればさぞかし実直な方であったのだろうと思わされます。しかしまぁ、つながってるもんですね。ちょっとおどろきましたよ。

 話は変わりますが、昨日の「ひるのいこい」ではフォー・ナイン・エースというGSグループの「寂しいジェニー」という曲を聞きました。佳曲でしたね。

 午前中のラジオとしては、鉄道関連の話題を集めた番組を聞きました。祝日の特番でした。俳優の半田健人さんご選曲の鉄道に関連した歌も多数かかりました。人間椅子の曲がかかりましたね。「地獄列車」とかいう曲でしたか。私が持っているライブ盤にも入っている歌だったような気がします。昭和歌謡から一変してドゥームな感じですね。

 同じく午前中ですがラジオ第2でアメリカのポピュラー音楽史の講義、あれの再放送を聞きました。
 かなりもう歴史的に近くなってきて著作権管理団体ASCAPが設立された頃を扱った時間となりました。私のような素人目に見ても「この辺がターニング・ポイントだな」って感じですかね。
 流行曲の大量生産、大量消費の始まった頃で、その供給元としてのティン・パン・アレイの出現が語られておりました。
 特に曲構造の標準化が激しい時代となったのだ、っていう指摘の部分は面白かったですね。いわく「A-A-B-A」で32小節。この形式が非常に多かったという。ワン・ブロックが8小節ってワケですね。
 そうした標準化を享受する下地に目覚しい工業化が背景にあったというお話でした。感じとしては、チャップリンさんの映画の「モダンタイムス」みたく「カポン、カポン」って製品が完成していくみたいなイメージでしょうかね。非常に素朴なモノの見方ですけど。

 考えるにこの頃からテクノ・ミュージックを心地よく感じるという感性は準備されつつあったのかも知れないですね。
 私自身のコトを言うとモーターヘッドなんかに見られるメカニカルなギターリフってのは実のトコロ、テクノを聴くときと大して違う耳では聞いていないです。私の半生って「繰り返し聴いても聴き飽きることのないリフ探求の旅」と言っても過言ではないですよ。バンド演奏にしても、打ち込みサウンドにしても。

 そんなコトを考えながら、手持ちの音源から、GBHの「マス・プロダクション」を聞きました。「ノー・モア・マスプロダクション・ブルース」ですよ。そこからソフト・セルの「モノカルチャー」に流しました。グローバル経済に反対を唱えるマーク・アーモンド氏って感じですかね。

 ラジオ番組のお話に戻します。流行曲が低く見られていて、とりわけそれがユダヤ人べっ視に絡めて使われる場合も多かった、という当時の状況の紹介も興味深いものでした。

 今夜はその講義の続きが聞けるそうですので楽しみです。とくに講義をされている先生としては「A-A-B-A」32小節というガチガチのフォーマットの中で果敢にも名曲を作り出していった人たちの連なりに思い入れがあるようですので、ソコへの言及が楽しみです。

 番組では何曲かの名曲がかかったのですが最後はチェット・ベイカーの「マイ・ファニー・バレンタイン」。この人の歌は本当に魔法のようですね。
 私は「シングス・アンド・プレイ」っていうあらためて書くのも恥ずかしい必携盤と、「ワン・ナイト・イン・トーキョー」っていうライブ盤しか持っていませんが、「〜トーキョー」における「オルモスト・ブルー」は愛聴曲です。むちゃくちゃ良いですよ。

 まだハタチそこそこだったコロに渋谷に見に行った映画「レッツ・ゲット・ロスト」とか思い出しますね。ちょっと歌った後にトランペットをくわえて吹き出す時の壮絶な色気っていうのはすごかったです。あの魅力でずいぶん良い思いをしたのではって思いますけど、反面いらぬイサカイもずいぶん招いたんじゃないですかね。
 映画は最晩年のベイカー氏の肖像を捉えたもので、その時の氏はもうすべて受け入れて風に吹かれてる感じでしたでしょうか。かなり昔の記憶ですけど。