ふたたび穴の中

we-were-convinced

 NHK・AMラジオ「ひるのいこい」において「緑の牧場」という歌を聞きました。津村謙さんの歌唱。近江俊朗さんのバージョンも存在するようです。良い曲でした。
 「緑の牧場」の作曲者は江口夜詩(えぐちよし)さん。「憧れのハワイ航路」が代表作でしょうかね。岡晴夫(おかはるお)さんですよ。

 江口さんの経歴を少し調べてみたんですが、「忘られぬ花」という曲のヒットで流行曲作家に転じたということです。「忘られぬ花」を歌った松平晃さんはかなり苦労されたようで、49歳という若さでお亡くなりになるんですが、長女の方が「北風小僧の寒太郎」の作曲で知られる福田和禾子(ふくだわかこ)さんだそうです。誰でも知ってるポピュラーな曲ですよ。この福田さんもすでに故人だそうですが、藤山一郎さんが晩年までピアノ伴奏を依頼していたのだとか。藤山一郎さんといえば私のようなパンクロック愛好家にしてみれば異常なまでに折り目正しい音楽性なワケですけど、その氏に長年重用されたということであればさぞかし実直な方であったのだろうと思わされます。しかしまぁ、つながってるもんですね。ちょっとおどろきましたよ。

 話は変わりますが、昨日の「ひるのいこい」ではフォー・ナイン・エースというGSグループの「寂しいジェニー」という曲を聞きました。佳曲でしたね。

 午前中のラジオとしては、鉄道関連の話題を集めた番組を聞きました。祝日の特番でした。俳優の半田健人さんご選曲の鉄道に関連した歌も多数かかりました。人間椅子の曲がかかりましたね。「地獄列車」とかいう曲でしたか。私が持っているライブ盤にも入っている歌だったような気がします。昭和歌謡から一変してドゥームな感じですね。

 同じく午前中ですがラジオ第2でアメリカのポピュラー音楽史の講義、あれの再放送を聞きました。
 かなりもう歴史的に近くなってきて著作権管理団体ASCAPが設立された頃を扱った時間となりました。私のような素人目に見ても「この辺がターニング・ポイントだな」って感じですかね。
 流行曲の大量生産、大量消費の始まった頃で、その供給元としてのティン・パン・アレイの出現が語られておりました。
 特に曲構造の標準化が激しい時代となったのだ、っていう指摘の部分は面白かったですね。いわく「A-A-B-A」で32小節。この形式が非常に多かったという。ワン・ブロックが8小節ってワケですね。
 そうした標準化を享受する下地に目覚しい工業化が背景にあったというお話でした。感じとしては、チャップリンさんの映画の「モダンタイムス」みたく「カポン、カポン」って製品が完成していくみたいなイメージでしょうかね。非常に素朴なモノの見方ですけど。

 考えるにこの頃からテクノ・ミュージックを心地よく感じるという感性は準備されつつあったのかも知れないですね。
 私自身のコトを言うとモーターヘッドなんかに見られるメカニカルなギターリフってのは実のトコロ、テクノを聴くときと大して違う耳では聞いていないです。私の半生って「繰り返し聴いても聴き飽きることのないリフ探求の旅」と言っても過言ではないですよ。バンド演奏にしても、打ち込みサウンドにしても。

 そんなコトを考えながら、手持ちの音源から、GBHの「マス・プロダクション」を聞きました。「ノー・モア・マスプロダクション・ブルース」ですよ。そこからソフト・セルの「モノカルチャー」に流しました。グローバル経済に反対を唱えるマーク・アーモンド氏って感じですかね。

 ラジオ番組のお話に戻します。流行曲が低く見られていて、とりわけそれがユダヤ人べっ視に絡めて使われる場合も多かった、という当時の状況の紹介も興味深いものでした。

 今夜はその講義の続きが聞けるそうですので楽しみです。とくに講義をされている先生としては「A-A-B-A」32小節というガチガチのフォーマットの中で果敢にも名曲を作り出していった人たちの連なりに思い入れがあるようですので、ソコへの言及が楽しみです。

 番組では何曲かの名曲がかかったのですが最後はチェット・ベイカーの「マイ・ファニー・バレンタイン」。この人の歌は本当に魔法のようですね。
 私は「シングス・アンド・プレイ」っていうあらためて書くのも恥ずかしい必携盤と、「ワン・ナイト・イン・トーキョー」っていうライブ盤しか持っていませんが、「〜トーキョー」における「オルモスト・ブルー」は愛聴曲です。むちゃくちゃ良いですよ。

 まだハタチそこそこだったコロに渋谷に見に行った映画「レッツ・ゲット・ロスト」とか思い出しますね。ちょっと歌った後にトランペットをくわえて吹き出す時の壮絶な色気っていうのはすごかったです。あの魅力でずいぶん良い思いをしたのではって思いますけど、反面いらぬイサカイもずいぶん招いたんじゃないですかね。
 映画は最晩年のベイカー氏の肖像を捉えたもので、その時の氏はもうすべて受け入れて風に吹かれてる感じでしたでしょうか。かなり昔の記憶ですけど。